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アフガンのドイツ兵に、アメリカ兵、日本兵が重なる
アフガニスタンに派遣されたドイツ連邦軍兵士が、人間の頭蓋骨を手にポーズを取っている写真をドイツ大衆紙ビルトが1面に掲載した問題である。
このニュースをきいて、思い出したのは太平洋戦争での米兵のことである。
サイパンなどから日本兵の頭蓋骨を戦利品としてもちかえった、あるいは本国の恋人にプレゼントとして贈ったという話である。
たしか、恋人から贈られた日本兵の頭蓋骨を前にした女性の雑誌の写真もみたような気がする。
サイパン島玉砕の真実:黙殺された捕虜には次のような記述がある。
-----(引用開始)-----
しかし,日本兵の軍刀,寄せ書きの日章旗・旭日旗,軍帽,ベルト,手紙・写真などは,米軍将兵の個人的な戦利品Spoil of warとして剥ぎ取られた。中には,歯,骨,頭蓋骨まで戦利品とした米兵もいた。苦難の戦いを勝ち向いた証として,敵兵の身に着けていたものを,記念品として故国に持ち帰りたかったのである。このような土産物は,米軍将兵の間で売買されることも珍しくなかった。軍刀は100ドル,日本兵の歯は,1ドルだったという。
-----(引用終了)-----
このエピソードは、映画「大日本帝国」にも描かれている。
三浦友和が演じる小田島中隊長は、サイパン戦の最終段階で玉砕を戒め、民間人をまもるために米軍に投降しようと、交渉のために海岸線にでる。
そこで男女一組の士官がボール遊びをした挙げ句、全裸になって海で抱き合うシーンに遭遇する。
目をこらすと二人がボール代わりにしていたのは日本兵の頭蓋骨だった。
怒りに燃える小田島は二人を射殺し、その頭蓋骨を埋めようとするが、最後の力をふりしぼった女士官によって小田島も射殺される。
これと似たようなことは、逆の立場で日本兵も中国などで起こしたことだ。
戦争が人間を獣にする――その真理は民族と肌の色を問わない。
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↑このような言い方を目にすると、つい「動物に例えないでよ」と言いたくなってしまう悪癖があって、久しぶりにコメント書かせていただきますね。
日本語の用法として間違っているわけではないし、
何かのアメリカ映画でも悪魔に向かって「アニマル!」と罵っている場面があって、悪魔は「ほほう、アニマルねえ。人間も皆 アニマル だぜ。」ってやり返していましたので、「人間らしくない」存在や言動に対して「獣」という言葉を使うのは結構行われていることだとは思うのですが、「戦争が人を獣にする」というのは、「人間は道徳的な存在である」という概念が前提になっているようで、つい?と思ってしまいます。
去年の9月2日の朝日新聞の夕刊にも、ハリケーン通過後のアメリカのルイジアナ州ニューオリンズで、「人々が獣のように振舞っている(=略奪に走っている)」という記述がありました。
何故細かい日付を覚えているかというと、その日のブログに書いていたからなのですけれども、平穏な日常が崩れ去った時に人々が獣のように振る舞い始めるというより、そのような行動を取る人々は元々道徳的ではなかったのではないかと思います。
動物の食に言及すると、野生の肉食動物って情け容赦なく草食動物等を狩るわけで残酷そのものに見えますので、残虐非道な人間に対して「あいつはケダモノだ」とか称しますけれど、肉食獣に狩られる動物は死ぬ直前までその動物本来の生活ができているわけで、実は人間の飼って殺すという肉食のあり方の方がよほど残酷な場合があるということをを無視してはいけないと思います。
人種差別や性差別と言う言葉がありますが「種差別」という言葉もあります。道徳的に欠陥のある人を獣のようだと例える用法がある言語に存在する場合、おそらくその言語の使い手たちの意識の隠れた所に、この「種差別」という意識が潜んでいるのだと思います。