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山原健二郎コメ質問
当ブロガーがリアルでみて印象に残っているのは、衆院予算委員会での細川内閣とのコメ論争である。
山原さんの質問、討論の名場面は幾多あるが、このコメ問題での鬼気迫る追求はすごかった。
1993年12月7日のことである。
その年の夏、総選挙をうけて自民党が下野し、社会党も加わった細川連立内閣が出来た。
細川内閣は、ガット(GATT)のウルグアイラウンドでコメの輸入自由化に反対していたが、1993年12月の合意段階において最低輸入量(ミニマムアクセス)を受け入れた。
これも連立政権の大罪の一つではあるが、政府の裏切りを新聞で知った山原健二郎さんは、その新聞を片手に細川内閣に迫った。
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米問題というのは、これはもう日本国民の必死の願いなんだ。
それを勝手にこんなことで変えられてたまるか。
何だ、これは。
ECとアメリカの話し合いの結果も見ずに、正式の文書も見ないで、ドゥニの、この非公式といいますか、書き取りか何かわかりませんが、そんなもので日本国政府が、三遍もの全会一致の決議をした言うならば国是ともいうべき米問題に対する日本国家の態度を変えてたまるか。
細川内閣にそんな権限はない。
どうだ。
一総理。総理だ、総理だ。
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新聞をたたきつけての追求に、主に羽田孜国務大臣が答弁するが、それもタジタジ…。
細川総理にいたっては、まともに答弁できない。
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全国の農民、この声を聞いてくださいよ。
血の叫びでしょう。
牛肉・オレンジの自由化、やらないと言ってやった。
今はもう子牛も売れなくなる。
どうにもならなくなって、今度は米でしょう。
主食ですよ。
アメリカ人にとって米は野菜の一部でしかない。
日本国民にとっては主食だ。
日本の文化もそこから生まれてきているんでしょう。
それを考えましたときに、政府が少々つらいからといって簡単に決議をゆがめるような、決議に反するような態度をとるべきではありません。これは本当に深刻に私は考えていただきたいと思う。
-----(引用終了)------
山原さんはこう質問をしめくくったが、これはまさに「瑞穂の国」である日本人の心にひびく言葉である。
刈り残し
正森成二さんのご冥福をお祈りします
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現実的に米の聖域は守られている現状を考えるとミニマムアクセスという部分的な妥協は、国際社会における必要最低限の譲歩であると認識するしかない。(個人としては、5倍までの価格差に日本米は市場において選好されると思っている)問題としてあまり精査されない不満として米だけが聖域化している批判をどう回答するのか?という問題がある。日本の食文化論において米よりも重要な五穀などは指摘に上らないし、大豆なども論争にならないのは、食文化の偏重として批判されるべきものだろう。同時に食の安全保障論において米だけを強く意識する論理が多く農本家から見られるが、農業の株式会社化などの農家の努力は米農家には見られないなど米農家だけに批判ができるものもある。抜本的に米農家だけを留意した記事というものに危険性を感じることが多い・・・
一粒たりとも・・なんというのは、農家の自信の無さという解釈になりえるものだと思う。日本の米の歴史は日本人の食性に合わせて発展してきたものであることを考えて、農家に米そのものへの自信をもってほしい。例え主食の座が危ういにしてもその消費量は小麦に劣ることは当面ないだろうから・・