土佐高知の雑記帳

四国西南部から徒然なるままに、祖国の右傾化、田舎切りすてに異議申し立てほえる。靖国神社の戦争犠牲者冒涜に怒りの発信!軍需産業=吸血鬼を暴き出すお気楽バンパイア・ハンター(^○^)

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続「犬・猫殺し」論争(?)考

いやはや反応がすごい(^^;
このテーマで3つ記事(「猫・犬殺し」論争(?)考ペットと痛みの心21世紀「生類憐れみの令」)を書いたが、どれにもたくさんのコメントをいただいた。
それだけ関心がふかいのだろう。
この場をおかりして感謝もうしあげる。



それらのコメントや、他ブログなどでの意見もふまえてさらに書き連ねたいと思う。

まず原点に立ち返りたい。
坂東眞砂子さんのはじめのコラムだが、いろいろと誤解をうみやすい表現もあるが、結論はこうである。

-----(引用開始)-----
 人は他の生き物に対して、避妊手術を行う権利などない。生まれた子を殺す権利もない。それでも、愛玩のために生き物を飼いたいならば、飼い主としては、自分のより納得できる道を選択するしかない。
 私は自分の育ててきた猫の「生」の充実を選び、社会に対する責任として子殺しを選択した。もちろん、それに伴う殺しの痛み、悲しみも引き受けてのことである。
-----(引用終了)-----

それを読んで、これでいいんじゃないのと思った。
だから坂東さんは、仮にポリネシア政府から、子猫殺しで罰則を受けても本望だろうとも思った。

同時にこれに初めに(当ブロガーが確認したかぎりでという意味)噛み付いたきっこさんの気持ちもわかった(それは一番初めの記事で書いている)。
だが、それ以上の対応――たとえば、日経新聞の不買運動をよびかけたり、フランス大使館への通報を呼びかけたり、愛護団体をけしかけたり――は、いかがかなと思った。
はっきり言って異端告発、異論排撃の匂いさえ感じたものだ。

坂東さんが子猫殺しを奨励したのなら話は別だが、彼女も「痛み、悲しみ」を感じたうえでの行為だからである。

しかし、そのごの展開をみると、坂東さんが書いていないことまで勝手に憶測誇張し、それを集団ヒステリーのごとく「罵詈雑言レッテル」をはって、攻撃、排撃している。これは失礼だが、きっこさんが「コイズミ改革はイジメの構図」枯れかけた花の美しさ」でとりあげた、イジメ、短絡的反応とおんなじだと思う。

ペットを飼うことについて、キンピーさんから次のような指摘をいただいた。

-----(引用開始)-----
まず根底にあるのが嗜好の問題。
そして癒し(人間の子供の代替もココね)や治療や情操教育。
次に家族の潤滑油(ペットを仲介して会話が成り立っている家庭もあるんですよ)として。
最後に衝動的に飼ってしまった(笑。ペットを飼う理由はこんなところでしょ。
-----(引用終了)-----

だいたいこれにつくされていると思う(むかしは猫はネズミ退治に飼っていたということもあったが、これはペットとちがう概念だろう)。
坂東さんも自分の「心の愛の泉」を絶やさないためとか書いていた。

すべてが人間の都合によるものである。
人間はその代償として、ペットと社会・他人に対して責任をはたさなければならない。
で、当ブロガーは、ペット愛好家はほかの人に比べて、より深い思いやりと高い倫理観が求められると思う。
いいかえれば、それぞれのおかれた条件を思いやることだ。

現在の社会的条件のもとで、ペットが自由に暮らせる条件はつくりにくい。そこでペットが自由に歩き回ったり、繁殖したりする本能を人為的に制限しなければならない。
その意味では、ペットを飼うこと自体が愛護に反すると思う。

しかし、それは「むやみ」に殺したり、虐待したりすることがなければ、それぞれのおかれた社会的条件、経済的条件によって温度差はあっていいと思う。

前にも書いたが、当ブロガーの住んでいる幡多地方は面積は香川県くらいある。
例外にもれず超過疎地域である。
ここには避妊手術を引き受ける開業獣医は4軒で、市でも土佐清水にはない。
公共交通機関はほとんどなく、中山間地はバスも通わないところがいっぱいある。
しかし、そうしたところでも人は住み、生きている。
そして犬や猫を飼っている家庭も少なくない。
なけなしの収入でペットを飼う理由は、都市に住む人間も田舎に住む人間もおんなじことだ。

当然、猫ちゃんやワンちゃんは、子どもをつくる。
避妊手術を受けさせればいいのだが、何せその病院に行くまでに大変なお金がかかる。
しかも手術代は2万円~2万5千円だという。
それは山村、漁村に住んでいるおばあちゃんには、受けさせたくても出来ない相談だろう。
だから、ここに出てくるおばあちゃんのようなことになる
だが、これを動物管理愛護法違反として告発できるだろうか。

きっこさんは「猫の避妊手術や去勢手術がなかった時代には、選択肢がなかったんだから、そういうこともあったと思うけど、ハッキリ言って、今は違うと思う。地域ごとに色んな補助があるから、わずかなお金で簡単に避妊手術をすることができる」と言っているが、それは江戸っ子だからいえるたわごとにすぎない。

高知県のような貧乏自治体には、ペットの避妊手術を補助するだけのカネはない。
人間さまの医療費支援だってままならないくらい、交付金を削られ四苦八苦しているのだ。
だから、山本有二大臣のように「迷惑施設を受け入れて、大都会の糞ダメになって補助金をもらって生きながらえろ」ということになる。

ためしに四万十市におおききした。
「ペットの避妊手術の補助は市にあるのですか?」
「ありません」
「では県の補助は?」
「それもありません」
「では、子猫が出来たときはどうすればいいのですか?」
「それぞれで里親を探していただくしかありません」
「それでも見つからないときは?」
「それぞれの責任でやってもらうしかありません」
「具体的にはどういうことですか?」
「…小動物処理センターにもって行っていただくしかありません」

この小動物処理センターは、当地方に1ヶ所しかなかった。ついこの間、アウトソージングで県内1ヶ所となり、当地方には受け入れ施設があるだけである(そしてそこに持ち込むには、遠いところで往復100キロ以上を自家用車か、タクシーでもって行くしかない)。

つまり、おかれている条件がちがうわけだ。
だからこそ動物愛護管理法は、弾力的対応をしていると思う。
ケースバイケースで判断することだ。
だから坂東さんもタヒチで訴えられたら、堂々と自説を法廷で展開すればいい。
司法が判断してくれるだろう。

最後にこの問題での印象を書きたい。
坂東さんの発言が、ペット愛好家を激しく刺激したことは認める。
だが、前にも書いたが、本当のペット愛好家は、ペットとともに、他人に対するより深い思いやりと倫理観が求められると思う。
ところが、坂東さんに対する集団ヒステリーのようなバッシングをみていると、きっこさんもふくめて「ホンマにこいつらペット愛好家?」と正直思った。

当ブロガーは、いまウルトラマラソンの練習で堤防を走る機会が多い。
犬の散歩と出会うことが少なくない。
たいていの人は、犬の糞を回収するレジ袋などをもっている。
だが、時々糞がそのままにされている場面にも出会う。
たぶん夜中に散歩させる人たちではないかと推測する(自分が特定されないからないからだろう)。
坂東バッシングにネット世界で興じている人たちをみると、このみえない「ペット愛好家」とダブってみえてしかたない。


呆れ果てるイイワケ
鬼畜子猫殺し坂東眞砂子



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*Comment

伺いますが 

・坂東さんは御当地にお住まいでペットの為に2万円が捻出できない方なのですか?

「違います」とお答えになるでしょう。
ならば、仰る事に正当性はありませんよ。
貴殿も坂東さんも。
  • posted by A 
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  • 2006.09/29 12:09分 
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新しいエントリーが立ったので。 

>すべてが人間の都合によるものである。
そうです。肉食同様、人間様の都合。分かりやすく言えばエゴですね。
しかし人間が他者との交わりの中で自分を認識する動物であり、自分が自分であろうとする以上、他者は必要なわけです。ここで言う他者には「人間・動物・物」が含まれますが、人間が他者志向性を動物(ペット)に求めるのは壁画の時代からあることで、人間の特性からいって自然なことで「悪」だとは言えないわけですよ。
これは地球のどこかで食糧難のために死んでいく子供たちが存在しているのに肉食を止めない人間さまも同様です。

>ペットを飼うこと自体が愛護に反すると思う。
ペットを飼うことで愛護に反しない場合もありますし、愛護どころか虐待になる場合もあります。それは飼育の仕方や動物の特性によりますので個別に見ていかないといけません。
自然動物の場合はその環境そのものを保護することで愛護になるかもしれませんが、その自然環境に人為的に作られた動物や、ペットを放つというのは環境破壊・生態系の破壊にしかなりません。
また街中でペットを放せば野良犬・野良猫が増え、害獣化して処分されるだけですから、これも動物愛護にはなりませんし、他人にも害を及ぼします。
太古の昔ならいざ知らず、この期に及んで「自然に帰せ」はただの管理放棄です。

>だが、これを動物管理愛護法違反として告発できるだろうか。
できます。
良い悪いは別にして、この法律は今までは許容していたものを、今後は許しませんよという法律ですから。
これは飼い主としての管理責任の問題ですから、そのペットに対しては責任を持つことは当然です。望まない命が生まれてしまったのは管理者の責任です。それをどうするかは管理者が決めることですが、ローコストで生まれた命を始末することは止めましょうということです。
だからといって全てのペットに手術を施さないといけないか?といえばそうでも無いわけで、それは飼育環境によって決めれば良いと思います。
どうしてもコストをかけたくないのであれば、飼育環境で工夫するしかありません。
「工夫もしたくない」「金もかけたくない」「ペットは飼いたい」「今までのように新しい命は自分で始末する」というのであれば刑罰を覚悟してくださいってことです。

>坂東バッシングにネット世界で興じている人たちをみると、このみえない「ペット愛好家」とダブってみえてしかたない
同意。

女史は命について問題提起し、バッシングした人の多くは管理責任を問うたわけで、議論がかみ合わないわけです。私は女史の認識にぬるさ(猫に人間と同様の感情や思考があるように考えたり)も感じるのですが、言わんとしていることは分からないでもありません。ただ何回死の痛みを感じてもベターな選択が出来ないアホだと思っています。
  • posted by キンピー 
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  • 2006.09/29 13:14分 
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バカ? 

避妊の助成云々について、殆どの自治体で取り組みしてないのに、あたかもそっちはこうだからとか言うな。お前が動物ボラの何を知ってるんだ。自分が知ってる見てる世界が全てだと思うな。ますます高知嫌いに拍車かかる、ったく。
  • posted by みぃ 
  • URL 
  • 2006.09/29 14:25分 
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ああああ 

繁殖をコントロールする意思と能力がなければペットを飼うべきではないのですよ.避妊・去勢手術に,地域ごとのアクセスや補助金の面での差があることは事実でしょうが,その条件下で繁殖コントロールするだけの経済的・時間的余力,マンパワー,アクセス手段がないならペットは飼わないことです.
また,坂東氏はその気になればいくらでもコントロールできるはずです.あなたのいう「条件」だって坂東氏はけして悪くないでしょう.
だいたいね,誰だって避妊や去勢手術などさせたくないのですよ.その辺が坂東氏もあなたも理解できてないのではないですか?
当初の坂東氏の主張は確かにあなたが冒頭で引用した内容だと思いますが,その後の主張は猫殺しが相対的に小さな罪だということの一点張りにしか見えません.罰せられて本望などという覚悟は私には感じられませんね.
  • posted by 奈梨さん 
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  • 2006.09/29 15:22分 
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奈梨さん
>だいたいね,誰だって避妊や去勢手術などさせたくないのですよ.その辺が坂東氏もあなたも理解できてないのではないですか

そこそこ。
管理人さんは知りませんが、女史は手術を管理の問題としてじゃなく命の問題として提起したわけです。
っで、女史は猫を殺すのも嫌、手術を受けさせるのも嫌だと言った。あくまで命の問題として。
最終的に女史は猫に自分を投影(セックス云々)させて手術を避け、猫殺しを選択したってことです。
他者に自分を投影させることは自然なことですが、行き過ぎはいけません(女史の批判者にも多いですし、ここで批判者の批判をする人もその傾向があります)。まして人間とは違う動物ですから管理者として冷静にその動物の特性を見て判断しなければならないわけで、猫がはたしてそんなこと考えるか?ということを猫を管理するなら知っておけよと思うわけです。

女史を批判する人は女史が命の問題を提起しているにも関わらず、管理の問題として断罪しようとする。だからいつまでたっても平行線です。
この件は命の問題と、管理の問題を両方見てベターな答えを出さないといけないわけで、個人的には望まない命が生まれることが安易に予測される飼育方法であれば、手術を受けるのがベター。でもちゃんと「死」を意識して欲しいって思います。
  • posted by キンピー 
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  • 2006.09/29 16:24分 
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エゴについてもう少し 

女史を批判する人たちを批判するために『エゴ』を持ち出しても仕方が無いと言ってきましたが、上の説明で分かっていただけないことが予測されますので説明しておきます(笑

人間生きていく上で何らかのエゴを重ねているのも事実。
自分が利己的な人間だと思いたくないのも事実です(つーか本当は人間ほど利他的な動物はいませんが)。
っで、その上で批判者に対する批判者を見てみると、「犬猫がいなければ問題ない」とする動物に他者を見ない人(人間や物に他者を見る人)や、「ペットの死を受け入れられなかった」とする動物に他者を見るのを止めた人のようで、この人たちはペットを飼うというエゴから最初から逃れているわけです。

上でも説明したように、他者を求めるのは人間の性質ですから、動物に他者を求めても自然なことなのですが、動物に他者を見ない人は「それはエゴだ」とことさらに問題にする。
ようするに自分達の志向が動物に向かっていないことで、たまたま安全地帯にいる人が、たまたま動物に志向が向いている人を指弾している構図があるわけです。
でもこの人たちは安全地帯から出たくないがために(自分が利己的だと思われたくがないために)、肉食というエゴは自然なこととして問題にはしない。
ここがまたズルイ。つーか批判のための批判に「エゴ」を持ち出したことが丸分かり(笑

まー、肉食にしてもペットを飼うにしても、エゴなんてものは多かれ少なかれ背負うものですし、「ペット」という嗜好性のあるもの、人によって他者志向性の分かれるものを「エゴ」で見ようとするのは不毛な議論です。
  • posted by キンピー 
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  • 2006.09/29 17:39分 
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この記事を読んだとき・・・正直涙が止まりませんでした
自分が人間嫌いで 猫に癒しを求めるのはいいけれど
産まれた子猫を殺すなんて・・・

私も 自宅で子猫を出産させました。

四匹のうち 一匹は出産後で死亡しましたが
人間の出産と同じで 猫も辛い出産を乗り越え
生命を生み出します

最初から 殺されるために産まれてくる子供は
可哀そうです・・・。

避妊手術は確かに高額です、でも
出産後、私はうけさせました

これ以上 育ててあげられないし
自分で責任がとれないので

もちろん 今の自分はお金に余裕があるわけでもなく
その分は仕事を増やして捻出しましたが・・・

必死で乳首をさがし 生きようとする姿を見て
「殺し」以外に考えつかなかったのか・・

殺さなければならないくらいなら 
猫のぬいぐるみ等で代用されたら
どうなんでしょうか。

と 考えてしまいます。

何を言おうと自分の手で命を抹殺してた事を
正当化させるべきでは無いと・・・

ごめんなさい そう思います。
  • posted by 華織 
  • URL 
  • 2006.09/29 19:09分 
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> キンピーさん
生の問題と管理の問題を分ける必要などありません,なぜならペットを飼うという行為自体が「生命を管理する」ことに他ならないからです.それ以外の話題はあくまで言い訳の中で比較対照として持ち出しているにすぎません.擁護者の人は坂東氏の文章を少々拡大解釈しすぎではないですかね?自己弁護でない文脈で殺生の質を論じた部分は1つもないと思いますよ.

坂東氏の言い訳をまとめると「森羅万象における殺生の大小で見れば子猫を殺すことは瑣末なことであり,母猫の生(性?)の充実のためなら子猫の命など取るに足らない」としか解釈できません.手術を受けさせなくても家から出さなければすむだけのことすらしないのは子猫の命を軽視しているとしか,大多数の読者は思わないでしょう.
  • posted by 奈梨さん 
  • URL 
  • 2006.09/29 20:07分 
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奈梨さんへ 

間違いの元は猫という動物に人間の思考を捏造したからなんですが(ここで管理というのが遠くへ行っちゃってます)、さらに女史は手術においても命の問題として捉えたから分かりにくくなったんですよ。
普通の人は華織さんのように「責任を負えない」「かわいそう」から避妊手術に向うのですが、女史は避妊手術によって今後生まれるであろう命についても考えた。
それでもペットに与える「苦痛」ということを考えれば避妊がベターだということになるはずなんですが、この女史はいつまでたってもアホな選択しかできないでいる。

>子猫の命など取るに足らない
そうは言ってないでしょう。私も毎度毎度痛みを感じているという女史の言葉は信じ難いのですが、本人の自主申告ですから信じるほかありません。

アホな選択しか出来ない女史ですが、ただ女史の命に対する思考を無責任な飼い主には見習って欲しいとは思って、わざわざ分けてみました。
  • posted by キンピー 
  • URL 
  • 2006.09/29 20:49分 
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って言うか 

 雄を飼うっていう選択肢はなかったんだろうか?>坂東氏

 ちなみに、僕の顔写真の猫はコウタロー君・雄8歳ですw

 

> コバコバさん
雄猫はいたけど逃げたそうです.

> キンピーさん
取るに足らないとまでは思っていなくても,
母猫の性>子猫の命
と考えていることは間違いないでしょう.
また猫に人間の思考を持ち込んだとしても,生まれたばかりの子供を母親から引き離して殺すという行為は理解しがたい残酷なものです.人間の思考,ではなく,坂東氏の思考,にすぎないですね.

また,無責任な飼い主がいることは否定はしませんが,坂東氏の言い訳からは,批判者はすべて無責任だから自分の思想を理解できないのだ,という主張が端々から感じられます.命についてよく考えた方がいいのは坂東氏の方だと私には思えますがね.
  • posted by 奈梨さん 
  • URL 
  • 2006.09/29 21:06分 
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奈梨さん 

>生まれたばかりの子供を母親から引き離して殺すという>行為は理解しがたい残酷
女史の「痛みを感じている」ということがにわかに信じ難いのはココです。生まれた子猫を他者として認識したり、自分を投影してしまうと殺すことに強い抵抗を感じるかずです。
これは私の勝手な想像ですが、おそらく女史は他者と認識することを避け、自分を投影することも避けるために生まれた子猫をすぐさま殺しているのではないでしょうか。だとすれば女史の「痛み」は偽物です。
あくまで想像ですが。

>命についてよく考えた方がいいのは坂東氏の方だと
そうでもないですよ。もっととんでもない飼い主がいます。女史と同じことを他人に押し付ける馬鹿とか、飼えなくなったからといって生態系を崩すような遺棄をする馬鹿とか。
  • posted by キンピー 
  • URL 
  • 2006.09/29 22:18分 
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そこそこ。やはり管理人さんは知りませんが、女史は手術を管理の問題としてじゃなく命の問題として提起したのではありません。「社会に対する責任」として避妊手術と子殺しを並列して提起しています。

しかし、ここで提起されているものは繁殖管理の手法の不妊手術と動物愛護法を踏みにじる違法行為の子猫殺しでまったく次元の違う問題です。
つまり、女史が行った行為は、不妊手術を感情的に嫌うあまり、子猫を崖から投げ殺す反社会的行為を続けてきたということであり、繁殖管理を社会的責任と理解しているところに大きな誤謬があります。

子猫を崖から投げ殺す行為は、反社会的な行為でありタヒチとはいえ法治国家で中にあり、動物の愛護にかかわる法が存在するところであれば許されることではなく、はなから繁殖管理の選択肢にはなりません
坂東氏は飼い主として繁殖管理を放棄し、なおかつ社会人として法を守る責務も放棄したと言わざるおえません。

坂東氏のエッセイには命という言葉はでてきません。なにか特別な思い入れをこめた「生」なる概念が再三登場してくるだけです。私には「命の問題を提起」といわれてもさっぱりです。まさか、飼い主の思い入れや都合でペットの命を飼い主自らが自己責任で奪うのならいいんだよ。他人まかせの不妊手術なんかよりずっとよい。「死」にたちあえるのだから。なんてことじゃないないですよね。

女史を批判する人は女史が命の問題を提起しているにも関わらず、管理の問題として断罪しようとする。だからいつまでたっても平行線なのではなく、女史を擁護する人は女史が(子猫の)命の問題を無視しているにも関わらず、管理の問題として反論しようとする。だからいつまでたっても平行線なのです。

結論として、エッセイで坂東氏は命の重さなんて1gたりとも感じてはいないし、論じてもいない、提起もしていない。坂東を批判する者達のスタンスはさまざまだが、ごく普通の人なら子猫の命があまりに理不尽な理屈のもとに奪われ続けてきたこと。に対する、人としての嫌悪・憎悪・怒りから糾弾の声をあげているのであって、擁護する人たちみたいにあまり難しい理屈はいりません。あのエッセイを読んでまずさきに気分が悪くなった人や泣けた人、怒った人だと思います。私もその一人です。
平行線なのは、いんじゃないの的な感性すり減った人や、偉大な直木賞作家坂東さん命ですという人や、友人、知人、身内、同郷などなどの一部や天性の猫嫌いの人となどなどとは、はなから、議論は噛み合うはずはありません。

最後に、管理人様へ、糞をおきざりにするようなひとは、坂東氏に対してたいした思い入れはありません。
地域猫活動をされている方々は野良猫の餌やりのあとの片付け掃除、糞の始末は欠かさないとききます。
それは、そのことを放棄することによって野良猫たちがまずさきに虐待などの対象になるからに他なりません。そのような人たちが坂東にたいして心底から怒りを感じて糾弾し続けているのです。それはバッシングなんて甘い言葉で表現されては、はなはだ心外です。

奈梨様へ、ただ一点、繁殖をコントロールする意思と能力がなければペットを飼うべきではないとはいえ
うちは、そんな気はさらさらなくとも、庭でガリガリに痩せて死にかけてた猫を保護して飼ってしましまた。三毛猫です。ビンボーですが人として見捨てておけませんでした。のちほど借金して不妊手術をしました(苦笑)。てなこともあります。

キンピー様へ、ただ一点、エゴというより、食物連鎖の頂点に立つ人間の請け負った責務といったところなのでしょうか?
  • posted by 薩摩長州 
  • URL 
  • 2006.09/29 22:33分 
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> キンピーさん
あなたの言っていることは坂東氏を美化しすぎていて,自己の投影などと言われてもピンときません.また,そのような極めて個人的な事情が仮にあったとしても子猫殺しを正当化する理由にはまったくなりません.
無責任な飼い主が多いことを問題提起したいのだとすれば,坂東氏は方法をまちがったと言わざるを得ませんね.いくら無責任な飼い主でも初めから捨てるために飼ったり産ませたりするわけではないしょう.確信犯的に産ませて殺している分,坂東氏の方が罪深いと感じる人も多いはずです.

> 薩摩長州さん
ほぼ同意です.
うちは大型犬を飼っていますが,麻酔をかけただけでそのまま目が覚めない固体もいると聞き,去勢にあたってはずいぶんと悩み,また覚悟を決めた後も無事に家に帰ってくるまで不安を感じていました.
手術は経済的にも精神的にも負担を伴いますが,私は結果的にやってよかったと思っています.また,最低限,繁殖期には外に出さない程度の予防策をとるのが飼い主の義務だと思いますね.
  • posted by 奈梨さん 
  • URL 
  • 2006.09/29 23:01分 
  • [Edit]

 

奈梨様即レスありがとうございます。不妊手術が心が痛まないなんてことはないですよね。当座金がないこともさることながら、私もそれを決断するまで随分悩みました。お腹を切るわけですから。無事帰ってくれることを祈り神仏にてをあわせてしまいました。術中術後になくなる子もいる話も聞いてましたし。とても「晴れ晴れ」なんていう心境ではありませんでした。それと完全室内飼いは虐待などという意見もありますが、車にに轢かれて何匹も失った経験からいまは完全室内飼いです。人の子なら社会が守ってくれる、あてにはならなくなってきたとはいえ警察機構がある、人が注意をしてくれる、車も轢かないように注意する。でも猫は飼い主が守ってやらなかったら他にだれも守ってくれるものはないのだから。そとでのびのびとが幸せという人もいるけど、そうしてわずか一週間で車に轢かれた黒猫のことを思い出すとき私は嘘だと言い切る。人も愛護動物も生きてなんぼやねん。と
  • posted by 薩摩長州 
  • URL 
  • 2006.09/29 23:24分 
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ありえない言動を行ってる人がいます。
「キンピー」という人間はこの論争をエゴ論で行うことを反対した当事者であり、その論理を提示したこちらを論理なくエゴでは不毛だといい張った人間です。そういう人間がいまさら、エゴ論をぶち上げることがどれだけの整合性があるのでしょうか?このような自己整合性のない行動を行う人格はある種の議論の遡上に上れないこととここに指摘しておきます。
頭が悪い人はこういう言葉を安易に使います・「正当性がない」という言葉です。この言葉を使う時に重要なのは、どうしてそういう結論になるのか?という論理構築の過程でありましょう。
自分はこう思うからそれが正当だから、あんたには正当性がない、という論理構成は二元論でもありません。それ以下です。このような言動は残念ながら、粗野かつ粗暴な思考回路だといわざるを得ないでしょう。正当性を指摘する過程、その論理の提示をできない部類は小学生とお話するのがよろしいと思われます。いやそれは小学生に失礼であるかもしれない
>人間が他者との交わりの中で自分を認識する動物であり、自分が自分であろうとする以上、他者は必要なわけです。ここで言う他者には「人間・動物・物」が含まれますが、人間が他者志向性を動物(ペット)に求めるのは壁画の時代からあることで、人間の特性からいって自然なことで「悪」だとは言えないわけですよ
・この論理の間違いをまず精査しましょう。古代から存在する関係性が「悪」ではないという論理がありません。もし、そうであるならば、古典的な慣習を打破したものや、古い因習を否定することが悪となります。現実は違うことはみなさんのわかるとおりであり、論理性はありません。よく指摘するのですが、伝統的に存在する因習はそのものに機能性があるから保存されるわけです。なにも因習も機能性もない「路傍の石」に意味を見出せるという人であれば、過去の歴史からその正当性を持ち出せるでしょう。同時にここで指摘する問題の無能さは生物学的に言及できるでしょう。ラスコー、アルタミアなどの考古学的資料には、いわゆるペットは存在しません。いわゆる「共生関係」(生物学的)であり、ペットの共生とは次元が違うことは理解できるはずです。一般的にペットと飼い主を共生とはいわず寄生という言葉が使われることもしばしばですが、このあたりの知識がないとキンピー氏のような論理崩れが発生することでしょう。
ちなみに、他者思考が壁画時代にあるという証明になにがあるのでしょうか?自我同一性、他者差異性を動物から計るしかないほど、人類は孤立していたのか?という問題からすれば、NOでしょう。その理由は簡単で動物と人類の差異はペットによって決定つけられたと、言及できるからです。考え見てればわかるように、血縁関係も集団関係の構築もなしに生命を育てるという人類の行為は動物を保護するという意識から生まれるわけで、そこに他者性をもって見ることはできないでしょう。この世の中で赤の他人のために寝食を忘れて生きれる人がいるならば、その人は動物に他者性と見出すことが可能ではありますでしょうが。それともみなさんは動物に人類の他者性を見出すことができるのでしょうか?
>これは地球のどこかで食糧難のために死んでいく子供たちが存在しているのに肉食を止めない人間さまも同様です。
・同様であるのに、それを受け止めないあんたはなんだい?前の議論でも結局あなたは、動物を飼うことのエゴすら認めないでいたのが、そんな言動するような言動の整合性はない。詳しくは過去を見れば明白であるが
>太古の昔ならいざ知らず、この期に及んで「自然に帰せ」はただの管理放棄です。
これがエゴの証明です。
人類が動物を管理する立場であるというなら、この言動はナンセンスではないでしょう。それとも、キンピー氏は動物の管理者なのでしょうか?管理してるつもりになっている方々が何をしてるのか?結構、興味深いものがあります。動物を管理しているのは、自然であり、人類ではありません。そのような思い上がりがキンピー氏などの傲慢な愛護団体と思想を生み出すことは、豪州大陸やパプアニューギニアの事例でも露呈してることです。
>ペットを飼うことで愛護に反しない場合もありますし、愛護どころか虐待になる場合もあります。それは飼育の仕方や動物の特性によりますので個別に見ていかないといけません。
このような部類には、愛護をいう言葉を厳密かつ精査してもらいたい。ただ可愛がるだけが愛護なのか?という問題である。そもそも、個別もクソもこちらが指摘したことを模写してるだけのことだろう。このような盗用を行うのがこの人の品質であることも記事を見ればわかるとは思われる。
愛護とは何か?おそらく自分でも規定することができないで、堂々と使用しているのだろう。私は厳格に指摘するが、「あるべき自然の姿に戻すこと」こそ愛護であると言い切る。自然淘汰される動物は、その他の動物の生態系維持のための重要な生贄ともいえる。自然がプログラミングした動物の生態系で一度でも間違いがあったか?という問題からかんがみれば、人類の自慰的愛護精神などは間違いを起こしていることも明白である。(このような基礎的な話すら理解する知性がない部類もいるわけだが)
>自然動物の場合はその環境そのものを保護することで愛護になるかもしれませんが、その自然環境に人為的に作られた動物や、ペットを放つというのは環境破壊・生態系の破壊にしかなりません
犬や猫という本来自然では発生しえない種類になり、その人為性から生態系を破壊した事実を受け止めないとこのような傍観者的な発言になるのです。ペットそのものが害悪になる構造を認めるべきでしょう。それができないからこそ、問題の本質(坂東氏の指摘する)が見えないだけでしょうが(小学生でもわかるテーマ性を読めない人もかなりいる。読書力の落ちた証拠だと最近思う)
>だからといって全てのペットに手術を施さないといけないか?といえばそうでも無いわけで、それは飼育環境によって決めれば良いと思います。
見てましょう。飼育環境を決定することは飼い主が動物を管理・支配することです。これをエゴを言わずしてなんというのでしょうか?決めれば良いというのは、人類側の勝手都合であって、物言わぬ動物への虐待という認識がないとこのように自己を正当化しかねないわけです。怖いお話です。

女史は命について問題提起し、バッシングした人の多くは管理責任を問うたわけで、議論がかみ合わないわけです。私は女史の認識にぬるさ(猫に人間と同様の感情や思考があるように考えたり)も感じるのですが、言わんとしていることは分からないでもありません。
どう思いますか?エゴイズムを自覚できない奴が指摘する「ぬるさ」というのは、自己欺瞞の至りでしょう。そもそも、どうして「ぬるい」のか、説明さえしていません。猫や動物に感情がないという証明はありませんし、馴致性の低い動物でも感情はあることは証明されております。このような言動は、あるものをないとして自己批判を回避する言動でありましょう。これを「ぬるい」というよりも「卑怯」「怠惰」だと言うべき人類のエゴの証左ともいえるでしょう。
>ただ何回死の痛みを感じてもベターな選択が出来ないアホだと思っています。
なにがベターなのか?この回答はキンピー氏がつかさどるものではありません。むしろ、坂東氏の選択肢をよりベターだとする価値観は現実にも存在します。これは感性の問題であって、自分の感性を第一義にしている時点、アフォ以下という批判を受けるのは、当然でありましょう。
いかがでしょうか?このような文面がある種の議論においての最低ラインだと思います。キンピー氏のように我田引水な論理を展開すれば、その欺瞞性を看破されますが、まだこれでもキンピー氏ではマシな方です。それは論理性として疑問、反証があるものでもまだ、提示してるだけ、進化してると思えるからです。
残念ながら、キンピー氏は反論しない「逃避型」の言説者であり、かつ自己整合性のない行為を行う人なので、注意することをみなさんに注釈しておきます。
  • posted by self0507 
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  • 2006.09/29 23:56分 
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>罰せられて本望などという覚悟は私には感じられませんね.
感じるか、感じないか、は当事者の問題であるので論じませんが、坂東氏がその罪を逃避する意思を示したことがあるのでしょうか?
これこそ批判者に対する重要な質問になります。坂東氏はより軽微な罪科だと主張しているとは読み取れますが、免罪符として自己正当化する論理になるならば、どこかでノットギルティだとする文面を残すはずではないでしょうか?
批判するに、まず事実関係の証左をまずするべきであり、思うことをベースにして批判するのは、議論としては稚拙だと思われます。
もし、坂東氏がその行為の正当化作業をしてるというならば、それは普遍的な正当化ではなく、比較論でありましょう。(このようなことでは日本語は比較表現がないので読み取りづらいとは思います)氏の行動において、その行為をどう自己整合をつけるのか?という部分でいまだに、行為の正当化作業になっていないと評価する立場としては、どこでそのような評価に転換するのか?という明確な証拠を知りたいものですが・・・・また感覚的なものでしょうか?
もう一度いいますが、「そう感じる」という感想にも論理的な証拠があるべきだと思います。それなしに断定系での批判は行われるべきではないでしょうし、誤解されたケースをかんがみて、糾弾するべきだと思います。
その部分で、感性的な意見感想文になってる批判や擁護しか見当たらない現状が、理解の程度の低さを感じます。
ちなみに、このような問題定義は日本だけではなく諸外国でも行われた歴史があります。古くはエジプトの中王朝時代のリビヤヤマネコに関わるファラオと学者の設問口伝にもあります。
ちなみに、批判したい人はやってください。それによって自己正当化できるならドンドンやってください。問題を矮小化させて理解することが坂東氏の本位とは思えませんが、その次元で終わる人はそれはそれで自由ですし、迷惑かけない限りの自由は容認するスタンスでありますのでご自由に。
  • posted by self0507 
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  • 2006.09/30 00:16分 
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華織 #41Gd1xPo 氏へ
>最初から 殺されるために産まれてくる子供は
可哀そうです・・・
こういう言動がやはりリアルな生から逃避した感性であるというべきなのでしょうか?
残念ながら、生態系に存在する多くの生命体が「殺される」ために存在します。マンボウは2億の卵を産みますがうち成魚になるのは運よくて2つだけです。このような事実関係から人類は逃れているわけですが、動物はそんな自然の支配下にあるのです。我々、人類の価値観で動物を縛ってきた結果どうなったのか?その結果論を理解してもらえないと、人類のエゴは拡大化し、抑制が効かなくなり、オリジナルの生命体など無くなるかもしれません。自分の価値化を大前提とせずに、まずは、あるべき動物の姿を見つめることが、動物の本来の姿を見ることであるでしょう。それともペットの姿は本来存在する動物的姿と言い切れるのでしょうか?

>手術を受けさせなくても家から出さなければすむだけのことすらしないのは子猫の命を軽視しているとしか,大多数の読者は思わないでしょう.
家から出さなければそれで済む、という思考回路が非常に我田引水、自己都合ではないでしょうか?家に出たい、という意思がない猫ならまだしも、それを確認する手段を持ち合わせていない人類が、それで済ませる、ということで正当化してると解釈されて仕方ありません。同時に、繁殖期以外の妊娠がないという認識からそのような解決策を導き出しているようですが、例外があるのもいうまでもありません。解決になるというにはあまりにも自分勝手かつ手前ミソであると評価するしかありません。(ちなみに、馴致環境にある猫ほど繁殖期が長いと同時にその期間外での妊娠があることも統計的にでております。(野良猫は繁殖期がはっきりしているのに、飼い猫はそれが鮮明化していない傾向など、より責任ある飼い方してる人なら、認識できることではないでしょうか?上記の手法を解決策だと思う人には、より猛省してもらいたいものです)
まぁ、一生、部屋の中で生きる猫もそれはそれでありでしょうが、死ぬよりつらいことかもしれない、とは思い至りますが、そんな感性ある人はペット飼わないでしょうね。

ちなみに、動物にもその生死がわかるわけですが、運悪く若いうちに死ぬような遺伝的な病理がペットには多いそうです。(特に純血では)早くに猫が人様の前から消えたのには、寿命があるとも思えますし、苦痛を免れたいために、より楽な死を選ぶ動物もいるでしょう。「哺乳類の自殺」は比較的事例があるのですが、意外に知られていませんので、ここらから考えてみてほしいものがあります。本当に事故で死んだ動物なのか?という疑問がある事例もあるのですから(現実に身体能力が落ちた猫が事故に合いやすい論理はあるが、動物の危険察知能力ではありえない死亡例が多いことからも動物の自殺は考えられます。イルカ、クジラの自殺は調べてみてください)
ちなみに、痛烈に批判しますが、「生きてナンボ」という主張は一見理解しやすいものですが、終末医療の現状やペインクリニック、自決権などを想起するに「自殺する権利」というものは、完全に否定されておりません。(日本の刑法では幇助などで違法ですが)
傍観者は安っぽいヒューマニズムを振りかざしますが、当事者は「死ぬ方が楽」ということはあるのです。そこまで踏まえてほしいと思います。それが動物にもありえるとは断定しませんが、集団自殺の論理、イナゴなどの原始生物の集団自決などは一定の論理性のある行為として科学の遡上に存在していることを指摘しておきます

  • posted by self0507 
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  • 2006.09/30 00:46分 
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>太古の昔ならいざ知らず、この期に及んで「自然に帰せ」はただの管理放棄です。

動物は人類の管理下にあるということですか?

>自然動物の場合はその環境そのものを保護することで愛護になるかもしれませんが、その自然環境に人為的に作られた動物や、ペットを放つというのは環境破壊・生態系の破壊にしかなりません

自然環境に人為的なものを入れる時点で「自然環境」ではなくなります。ペット、動物を放さずとも自然に人類が立ち入った時点で破壊が始まっています。

>どう思いますか?エゴイズムを自覚できない奴が指摘する「ぬるさ」というのは、自己欺瞞の至りでしょう。そもそも、どうして「ぬるい」のか、説明さえしていません。猫や動物に感情がないという証明はありませんし、馴致性の低い動物でも感情はあることは証明されております。このような言動は、あるものをないとして自己批判を回避する言動でありましょう。これを「ぬるい」というよりも「卑怯」「怠惰」だと言うべき人類のエゴの証左ともいえるでしょう

おっしゃるとおりです。このキンピーという人の方が断然「ぬるい」というよりも身勝手です。

このキンピーさんはおそらく自分の「ぬるさ」を自覚していらっしゃらないと思います。批判のために論理を偽装していますね。(特に古代のお話)
ただ、ペットを飼うことを頭から批判されると容易には受け入れられませんが、理論的には整合性はあります。問題はそこらの覚悟という指摘はペットを飼う身として逃げないようにしてるつもりです
  • posted by もほもほ 
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  • 2006.09/30 02:10分 
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> self0507さん
「虐待にあたるかどうか精査してもらいたい」,「言論の弾圧だ」と言っていますね.これだけで覚悟がないということの十分な根拠だと考えていますが,それ以上の根拠が必要ですか?
  • posted by 奈梨さん 
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  • 2006.09/30 08:44分 
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追加 

「正当化」でないのだというなら,「言い訳」でいいです.小手先の議論のための議論に付き合うつもりはありませんので.
  • posted by 奈梨さん 
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  • 2006.09/30 08:50分 
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奈梨さん 

>あなたの言っていることは坂東氏を美化しすぎていて,自己の投影などと言われてもピンときません

女史の自主申告は信じ難いですが、こればっかりは女史にしかわからないことで、「一応」信じてあげないといけません。
そこで女史の言い分が成り立つように考えてみただけのことで「美化」なんてしてませんが。
なんども言いますが私は女史の選択をアホな選択だと思っていますよ。

>確信犯的に産ませて殺している分,坂東氏の方が罪深いと感じる人も多いはずです.
無自覚でアホな事しやがるヤツも性質が悪いですよ。全く悪いことしている自覚が無いんですからw
  • posted by キンピー 
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  • 2006.09/30 09:41分 
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薩摩長州さんへ 

>キンピー様へ、ただ一点、エゴというより、食物連鎖の頂点に立つ人間の請け負った責務といったところなのでしょうか?

野生動物に対して、ということに限定すれば、これだけ生態系を乱してしまったことに対して責任はあるでしょうね。でもそれは人間に跳ね返ってくるから「環境破壊だ」「愛護だ」というのです。

愛玩動物に対しては食物連鎖云々はあまり関係ないと思います。人間がペットを飼う目的は上で述べたように他者との関係を求めて飼うわけで、結局は自分を確立していくためです。
だから殺してはいけないわけです。
  • posted by キンピー 
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  • 2006.09/30 10:02分 
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> キンピーさん
> 信じてあげないといけません。
前後の文脈・整合性から信じられないと判断されるならそれ以上好意的に解釈する必要はないと考えます.

> 無自覚でアホな事しやがるヤツも性質が悪いですよ
相対的にみて坂東氏の行為が「よりマシ」だという見解は部分的には首肯できる点もありますが,だからといって免罪されるわけではないのですよ.なぜなら問題の質が違うからです(その点は薩摩長州さんが明確にのべてくれていますね).
改めて言いますが,無責任な飼い主の問題は坂東氏の行為とは切り離して考えるべきです.最初のコラムで言い訳のネタとして持ち出しているだけで,その後の一連の言い訳ではそういう問題提起はなかったはずです.
  • posted by 奈梨さん 
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  • 2006.09/30 11:30分 
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奈梨さん 

>前後の文脈・整合性から信じられないと
いや、本当に自分を投影させ、他者として子猫を認識した上で殺しているのなら、そうとうな痛みを感じているでしょう。ただ、私を基準に考えただけなので、やはり無視はできません。

>だからといって免罪されるわけではないのですよ
私は女史を免罪などしていませんよ。
最初のコラムを読んだ感想が、命について掘り下げて考えたのに、自分を投影(セックス云々)させて、アホな選択をしていると。刑事罰も受け入れてくださいと。
そう言っているだけです。

>無責任な飼い主の問題は坂東氏の行為とは切り離して考えるべきです
生まれたてのペット遺棄なんて酷いもんです。こういうことをするヤツは、女史がやっていることと同じ結果になるかもしれないことを無責任かつ他人に責任を押し付け行うわけです。
っで、こういう輩はたくさんいます。

>避妊手術
奈梨さんや薩摩長州さんのような方はよく考えられて手術を受けるか否かを判断するでしょうが、飼い主の中には「うちの子うるさいから」「おちつきがないから」なんて飼い主の躾放棄の理由で手術をするヤツもいるわけです。そういう輩には命の問題を掘り下げて考えて欲しいと思うわけです。
  • posted by キンピー 
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  • 2006.09/30 12:00分 
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> キンピーさん
子猫を殺すときに坂東氏がどう感じているかは私の主張するテーマとは違うのでこの際どうでもいいです.
私を含め多くの批判者が問題視しているのは坂東氏の価値基準が
母猫の生(性?)>子猫の命
このようなものである点だと考えます.

無責任な飼い主の問題も,坂東氏の主張のメインテーマがそこにはないこと,あるいは仮にあったとしても非常にまずいやり方であることを,理由もつけて多くの人が主張しています.あなたがこの点をこれ以上論じたいなら,無責任な飼い主がいるというアピールは必要ありません(その点は誰一人否定していません),
「坂東氏の言わんとするテーマが無責任な飼い主についての問題提起であるということを,坂東氏自身の表現から順序だてて拾い上げ説明すること」
が必要なのです.
  • posted by 奈梨さん 
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  • 2006.09/30 18:52分 
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奈梨さんへ 

>子猫を殺すときに坂東氏がどう感じているかは私の主張するテーマとは違うのでこの際どうでもいいです
女史のコラムが矛盾しているところもあり、奈梨さんなりに整合性を持たそうとして「子猫の命など取るに足らない」と女史が主張しているように書いていましたが、それはよくありません。女史は刑罰を受けてると思いますが、悪いヤツだからと言って何を言っても良いというわけではないのですから。

>母猫の生(性?)>子猫の命
このようなものである点だと考えます

女史も母猫の生を優先させたと言ってますね。
避妊手術も間引きも母猫の生を優先させることでは同じです。ただ今はお金を出せば避妊手術が受けられますし、間引きを選択する理由がないと思われるのですが、女史は自分の生(性)に対する考えを猫に押し付けて間引きを選択したわけですよね。
間違ってますね。アホですね。

>無責任な飼い主がいるというアピールは必要ありません
管理人さんのお題ということが理由のひとつ。
それと私個人として、ペットの遺棄を無くしたいという思いもあります。法律はあっても保健所は「それは違反ですね。でも僕等は強制できないんですよ。」という。警察は警察で「それは保健所に言ってください。」という。法律があっても行政が動かないからペットの遺棄は無くならない。
女史の所業に怒りを感じる奈梨さんなら、アピールすることの必要性を分かってもらえると思います。
この件は注目されている問題であり、女史の問題をきっかけにアピールさせてもらいたいのですがお許しいただけないでしょうか。
  • posted by キンピー 
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  • 2006.09/30 19:58分 
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奈梨さん へ 

>「虐待にあたるかどうか精査してもらいたい」,「言論の弾圧だ」と言っていますね.これだけで覚悟がないということの十分な根拠だと考えていますが,それ以上の根拠が必要ですか?
まず、言論する権利とその内容が関係あることを明確化するべきでしょう。言論の弾圧という行為が、明確に、自己肯定になるというのならば、反論するわけですが、言論の弾圧という行為があれば、それは弁明だけではなく事実関係の提示でしかないでしょう。
もっと言えば、自覚があっても「言論の弾圧」と言えることが可能である以上は、あなたの妄想でしょう。そうやって、思い込みから考えるから、議論になれない。この程度の証明作業も思考もない人は、なんでも被害妄想で言えそうとも言えます。
自覚があれば、言論弾圧とは言わない、という論理性まで提示してくれれば、分かりますが、判断するにどれだけの合理性があるのか、反証可能でもあるのですがねぇ
ちなみに、あなたの解釈をどれだけの人がそう解釈したんでしょうか?是非、同意に至った人でもだしてほしいものですがね。
自分が悪いことであっても不当な権利の制約に抵抗することは許されることでしょう、より不当性の高い抑圧行為(あなたなどが行う)に抗うことは、自己の善悪とは別次元でも存在しえますので、あなたの根拠は簡単に崩壊しえます。それとも、善悪判断で少しでも落ち度があれば黙れるほど、あなたは潔癖なのですか?それを強制するのでしょうか?
(というか、この程度の思考回路って大人ならあるんじゃないの?)
ちなみに、覚悟があっても、言論の自由を奪うことに整合性があるとは思いません。覚悟以上に不当な行為を行いそうな愛護団体などを見れば、当然、不当さを叫ぶのは人として普通でしょう。
あなたも自分の稚拙さを省みず、逆切れしてるとこちらも多くの人も思っているのだが、それを気づく要素もないようですけどね(実際、そういう身勝手を傍観者が冷笑してる事実はあなたには分かるはずもないでしょう。)
残念ながら、あなたの言動にも論理性はない自慰でありましょう
相変わらず、自分の感性と主観だけしか述べられない議論でもなってない形態を見てると、限界としか感じませんけどね。
自慰好きが自己弁明に一生懸命に述べてるだけで、弁明にもなっていない、ということです。悲しいお話です
短慮ですね・・あまりにも
  • posted by self0507 
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  • 2006.09/30 21:31分 
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もほもほさんへ 

>動物は人類の管理下にあるということですか?

そういうことなんです。そういう感性の方々がこの議論にいるんです。そこが一番のポイントかもしれません。

>ただ、ペットを飼うことを頭から批判されると容易には受け入れられませんが、理論的には整合性はあります。問題はそこらの覚悟という指摘はペットを飼う身として逃げないようにしてるつもりです

逃げてもいいですが、それを自覚してください。自覚すれば、自分の相似形を批判して、自己弁明したり破廉恥なことはしません。
このお二人はそんな破廉恥さと羞恥心の無さがあるわけで、そこらを踏まえて人類のエゴを主体的に読み取るといいとは思います。
堂々と批判してる連中の破廉恥さは自己弁明のための批判であり、結局は坂東氏の行為を問責できるほどの立場ではないでしょう。当然、ペットを飼ってない人はまだマシにしても、人類として自然と相克し、もう一方で融和といいながら、破壊してることなどはどうせ、理解することはないでしょう。
ちなみに、動物愛護週間のポスターに避妊手術の勧めがあります。
動物愛護とはどうあるべきなのか?という視野で考えるともっと、この二人の破廉恥さが理解できることでしょう。
ヒントは、愛護は愛情をもって守ることです。「愛情が等しく供与されるのか?」「保護することが普遍的に正しいのか?」「生物としての生き方として人為的な進化と自然的な進化」との差異というテーマで考えるとより、理解の深度があがるでしょう。
  • posted by self0507 
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  • 2006.09/30 21:40分 
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> キンピーさん
子猫殺しの心境に関する坂東氏の文章は私にはなんとも薄っぺらで実感としての苦悩や痛みはまるで伝わってきません.しかし,それは個人の感性や読解力の問題であり,十分に辛さを感じていると解釈する人がいるなら,それ以上論じても仕方がありません.

避妊や間引きは母猫の生のためではなくあくまで人間の都合です.坂東氏が自身の生の価値観を猫に押し付けたために批判されているという点については全面的に同意します.


> self0507
私が挙げた文章を読んで,罰せられる覚悟ができていると解釈するなら,それでいいですよ.すでにポリネシア政府が動いているという情報もありますし,いずれはっきりわかることと思います.
  • posted by 奈梨さん 
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  • 2006.09/30 22:39分 
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あの・・・おっしゃっている事はわかります。

最初から生存の確率が低いので多くの卵を産む・・・・のと

今回の猫の件は違うように思いますが・・・?

自殺の件、それはあるかもしれませんが

昔飼っていた猫が、一年近く帰ってこず 尻尾が白骨化した状態で帰ってきたことがあります

獣医が「生きているのが不思議なくらい」
と言ってましたが・・・
自殺とまた逆のこともあるかと思います。

死んでいった子猫は

生きたかったのでしょうか

逝きたかったのでしょうか・・・

子猫自身がそのことを伝えられたなら
おもいとどまったのですかね?

生きるために食われていく卵じゃないですよね 子猫は。

思ったようにうまく伝えられませんが 
「リアルな死」から逃げてはないですよ。








  • posted by 華織 
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  • 2006.10/02 16:15分 
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エゴからの逃避とリアルな生(自然) 

・エゴからの逃避
「ペットを飼うことはエゴだ」という意見があります。たしかにエゴです。
エゴから解放されるには、エゴな行為をしなければ良いのか?一見そのように思われるかもしれませんが、エゴから逃げ回ると最終的には自分を無くすしかありません。自分が自分である以上、エゴからは逃れられることは出来ないわけです。
 エゴを受けとめるのではなく、エゴを避けるために「ペットを飼わないことが一番よい」という意見があります。この忠告自体がエゴなのですが、もしこの忠告に従って、ペットとして飼われていた動物を飼わないとします。ペットとして飼われていた動物の多くは人間に依存し、種の保存を続けてきましたので、当然生きていくことが出来ない個体が出てくることや、種そのものの絶滅が容易に予測できます。これも人間のエゴです。

・リアルな生と平等
個体の減少や種の絶滅が「それは自然なことで、自然こそが平等だ」という意見があります。
しかしリアルな自然(生)は不平等なのが正常な状態で、そこには突然変異と淘汰の”結果”としての動植物を含めた生態系があるだけです。
 平等とは人間が持つ概念であり、「自然こそ平等」というのは思い込みの激しい主観的な自然であるのですが、さらにリアルな自然に問題を還元し、解決を求めていることから、自然主義的で言うところの”自然主義的誤謬”といえます。
  • posted by キンピー 
  • URL 
  • 2006.10/02 19:44分 
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不毛 

批判者の批判のためにエゴを持ち出すのは良くないと何度も言ってきましたが、どうやら理解できない人もいるようなので、もう一度言います。
 女史の批判者の多くはペット好きか、あるいはペットを飼っている方です。この方たちの多くはペットをコミュニケーションの相手としての「他者」として扱い、ある種”尽くす”ことによってエゴを利他的に転換している人たちです。
 この人たちに「ペットを飼うことがエゴなんだ」と主張すると、次に出てくるのは「ペットを飼わないことだ」になります。エゴから逃げつづける議論をすると当然ですね。
これは不毛。自分が自分でなくなるか、それとも消滅するしかないわけですが、『エゴから逃げたい。自分は失いたくない人』はリアルな自然に解決を求めるという自然主義的誤謬を犯します。
 自然主義的誤謬はもっともらしく聞こえるかも知れませんが、これが間違っていることは、「自然は弱肉強食。人間も貧富の差が出るのは当然」という過ちにも見られるように、人間社会の中に人間性が無い矛盾と同じです。ペットは人間社会の内部に深く存在しているのですから、ペットに関わる人や人間社会や文化・道徳を排除した議論など成り立たないわけです。
  • posted by キンピー 
  • URL 
  • 2006.10/02 19:44分 
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子猫殺し 

女史の話に戻りますが、女史は動物を飼うことはエゴであると認識しています。猫の中に「自分」を投影させたり、コミュニケーションの相手としての「他者」として扱い、その他者を愛でることによって利己的であったものを利他的に転換しようとしています。
しかし交配・出産・避妊の話になると「他者」としての子猫ではなくなり、女史の特異で主観的な自然の中で子猫(命)が語られていきます。その自然には”自分”というものが都合の良い形で現れては消えていきます。
そして子猫の処分に困った女史もまたリアルな自然に問題を還元するという「批判者の批判者」と同じ過ちを犯しています。
ペットに「他者」としての価値を見出しているにもかかわらず、価値から生まれた新しい価値については自分の都合の良い解釈で”リアルな生”の中に捨て殺したわけです。
  • posted by キンピー 
  • URL 
  • 2006.10/02 19:45分 
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利己的から利他的へ 

人間は「自分とは何か?」を考えれるほど高度な動物です。ゆえに不安にもなります。そこで人間はコミュニティーに帰属することで安心を得るわけです。そして人間はそのコミュニティーのためには時として大量殺戮さえします。人間の歴史に戦争が常にあるのは、何かに帰属し守りたいという利他的な本質があるからです。
また人間は欲の動物でもあります。自然保護を口にする時も、自分達にとって有益なものを価値付けて、取捨選択していきます。価値の理由は「人間にとって実用的だから」「人間の生活基盤を守るために」「美しいと思うから」「自然動物を愛しているから」などいろいろあるでしょうが、人間が価値付けている以上、価値付ける過程で利己的になることは避けられません。これは自然を絶対的なものとして価値付ける場合も同じことです。それは人間の特性であり良くも悪くもありませんが、一体誰のための自然保護なのか?ということ考えると、それは自分と自分以外の人類が将来にわたり継続可能な利益を得るためという利他的な目的のためと言えるでしょう。
最後にどこかで書いたと思いますが、人間は「自分とは何か?」を知るために、他者との交わりを求めます。それは人間であったり動物であったり物であったりします。
ペットに話を戻せば、動物に他者性という価値を見いだし、ペットとして飼いたいという欲。そこからペットを大切な他者として扱い、利他的な行為に消化させていくことで、人間が人間らしくいられるわけです。
「自分のやっていることは利己的ではないか」と良心の呵責にさいなまれたり、利己的な行為から逃避するより、どうすれば利己的な行為が利他的なものに変わるのか?を追及する方が豊かな人間性を育めるように思います。
  • posted by キンピー 
  • URL 
  • 2006.10/02 19:45分 
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土佐高知 サン 

>地域ごとに色んな補助があるから、わずかなお金で簡単に避妊手術をすることができる」と言っているが、それは江戸っ子だからいえるたわごとにすぎない。

> 高知県のような貧乏自治体には、ペットの避妊手術を補助するだけのカネはない。

>「では県の補助は?」
「それもありません」
「では、子猫が出来たときはどうすればいいのですか?」

新しいエントリーが立っていたのですね。サッと読ませていただきましたが、(コメントはたくさんあるので全然読んでいません。重複したらスミマセン)
ちょっと待って!と言わせていただきたいのですけれど・・・不妊・去勢手術の助成金について土佐高知さんはどのように思われているのでしょうか?

私は、このような助成金には大反対です。何故か?不妊・去勢手術の費用は飼い主責任で、飼い主が全額負担すべきです。そのオカネが惜しいなら飼わない、そのオカネがないなら飼わないが原則だと思います。

実際、犬猫を飼う人にオカネがないなんてことはないでしょう?助成金なんて一番たくさん出てる所でも、家族でレストランに行けばなくなるような微々たる金額じゃないですか?犬猫を飼えば、ワクチンや狂犬病予防の注射、フィラリアの薬、餌代など多額の費用がかかります。これが払えるから飼うわけじゃないですか?

考えてみてください。助成金や殺処分にかかる費用の出所は税金ですよ。動物を飼う人は、自分の意志で飼っているわけじゃないですか?私は、我が家が払う税金をビタ一文、不妊・去勢手術の助成などに使って欲しくないと思っていますし、殺処分にも使われたくないと考えています。

何故、無責任な飼い主の後始末のために税金を使わなければならないのでしょうか?飼えなくなった者は自分で殺すべきじゃないですか?(引き取らなければならないという甘い法律がありますけれど)

私、常々、日本の社会は「飼い主に甘い」と考えています。何故か?不妊・去勢手術に助成金が出る。途中で飼育放棄をした場合、愛護団体が引き受けてくれたり、そうでない場合でも行政サービスで殺処分してくれる。捨てた場合、これまた愛護団体が保護して譲渡してくれる場合が多い。無責任な飼い主は二重三重の恩恵を受けているわけで、飼い主に飼い主責任の意識が育たない環境が整っているのではないですか?

私からみると地域ごとに色んな補助があるから・・・なんて、「何をタワゴト言ってるの???」のひと言です。
  • posted by ふわふわ 
  • URL 
  • 2006.10/02 20:52分 
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キンピー さん 

私、「ペットを飼わないのがベストだ」と考えていますが、これは「癒し」とか「アニマルセラピー」とか「子供の教育にいい」とか「番犬になる」とか「家族の潤滑油になる」とかその他諸々の目的のために「ペットを利用するのは、もうやめましょうよ」ということでもあるのです。

たいていの人は、↑のような目的でペットを飼い始めますが、ペットにとってはいい迷惑だと考えるわけです。

あと、「ペットを飼わないのがベストだ」と考えているからと言って、飼われない状態の犬猫(に限定して話します)が巷にいていいという考えではありませんので。

現実問題、「犬猫を飼う人」がゼロになることはないでしょう。理想的な方向として、当たり前のように犬猫を飼うのではなく、「犬猫を飼わないという選択」を人々が行っていくことで(不適切な飼い主をふるい落とす)、飼われる犬猫の総数を限りなく減らしていくことがきわめて重要だと考えています。 

今、時間がないので、とりあえず要点(私にとってですが)のみ書きます
  • posted by ふわふわ 
  • URL 
  • 2006.10/02 21:53分 
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備忘録です。 

このテーマを集めたところがあったので、一応メモっておきます。
http://news.drecom.jp/catnip/

当ブログも紹介されてました\(^O^)/

ふわふわさんへ 

>不妊・去勢手術の助成金について土佐高知さんはどのように思われているのでしょうか?

名指しされちゃったので…、お答えしますが、それも一つの考え方でしょうね。
野良猫や野良犬の繁殖、増加を防ぐためには、必要な措置かと思います。

現実にそれらの対策に税金は使われています。
エントリーで書いた小動物処理センターがそれです。

いくら飼い主の責任だといっても、そんな無責任な飼い主がゴロゴロいるわけで、日々野良ちゃんがいる現実はさけて通れないと思います。

だからきっこさんの住んでいる社会では、そういう補助金を出しているんでしょうね(確かめていませんが)。
でも、高知県はそんなことしてません。したくても出来ない現実があるのです。

で、野良猫、野良犬を処分しています。
どうやってやるか?
飼い主がいないと処分できないそうです。

職員が飼い主になって処分承諾書にサインするそうです。

凄い数の反応ですね。 

管理人様も色々お調べになっているみたいでご苦労様です。

>ここに出てくるおばあちゃんのようなことになる。 だが、これを動物管理愛護法違反として告発できるだろうか。

このおばあちゃんは、動物管理愛護法第7条の「動物の所有者又は占有者の責務等」に違反している可能性があるので行政側が判断すれば告発されるでしょうね。もちろん、それなりの事情があれば猶予されるでしょうが。その辺は行政と司法の判断になるでしょう。

>ふわふわ(元ドラ)さん

先日、私のコメントにレスを下さっていたみたいなので、その返信です。

>>全体的に「飼育動物は不幸だ」的な考えが底にあるようですが、動物と人間の間にコミュニケーションが取れない以上、その考え自体が全くナンセンスな訳なのでなんとも言いようのない部分もありますが。

>例えば、一日に1度か2度散歩に連れて行ってもらうだけで、一日中戸外で鎖につながれている犬。本来草食動物であるのに、狭い牛舎で歩き回ることもできず、穀物を与えられて暮らす寿命のない牛。生息地から拉致されて狭い檻の中で見世物になっている動物園の動物。肉食動物の餌になっている他の動物・・・状況判断をすれば、不幸に思えるのだけれども・・・どうでしょう?

うーん。私はそのような状況判断が人間の主観に過ぎないのではないか?、と言っているのです。↑のような動物の幸不幸は人間では図れませんし、個々の動物によっても感じ方は異なるでしょう。例えば、私の知り合いの犬は滅多に散歩に行きたがらないそうなのです。一日中戸外で鎖に繋がれていますが、小屋の中でゴロゴロするのが大好きなのだそうです(ま、これも飼い主の主観なのかもしれませんが、散歩用のロープを付けようとするとものすごく抵抗するのであながち主観じゃないとは言いきれません。だからその飼い主は抵抗されない時にしか散歩に出ていません)。↑の牛や動物園の動物に関しても、少なくとも毎日の生活の安全と食事は保障されている(特に最近は動物福祉の充実の風潮が強い)わけで、見方によっては常に生命の危険に晒される野生動物より幸せかもしれません(ただ、動物園のホッキョクグマなどは広いところを歩き回れないストレスから自傷行為や精神症状を見せるケースも報告されていますので、幸福とは言えないかもしれませんね)。肉食動物云々はこれは自然の摂理というもので、幸か不幸かはあまり関係ないのではないでしょうか。人間でさえ、生活の安定や権力のためなら自ら進んで去勢する人もいました(中国の宦官など)。また、WHOかどこかの世界的機関の調査では、ある人が所有している物の数と自分が幸せと感じるか(生活の満足度)は反比例するという結果も出ています。先進国の人が自分たちより不幸と思っている(かもしれない)途上国の人々は先進国の人より日々の生活に幸せを感じている、といういい例です。

まあ、動物にとっての幸不幸が分からないからといって色々議論しなくても良い、というわけではないのですが。重要なのは、その動物の自然習性を考慮しつつ、個々の個体の幸せを個々に検討することなのかもしれないと私は思っています。難しいですけどね。いつか動物と話せるようになった時、「僕は人間に飼育された方がいいかな」とか「いやいや、俺は野生で思いっきり走り回りたい」とか言われるなら楽でしょうけど(笑)。

以上です。
  • posted by 中立・・・かな? 
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  • 2006.10/03 00:25分 
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まだ寝てなかったもので(^○^) 

>このおばあちゃんは、動物管理愛護法第7条の「動物の所有者又は占有者の責務等」に違反している可能性があるので行政側が判断すれば告発されるでしょうね。もちろん、それなりの事情があれば猶予されるでしょうが。その辺は行政と司法の判断になるでしょう。

たぶんウチの地方では告発はないでしょうね。
そんなことしたら、行政に対する非難が集中すると思います。

かりにされても司法は、不起訴。

地域によって動物管理愛護法の適用は食い違うと思いますね。

ふわふわさん 

>たいていの人は、↑のような目的でペットを飼い始めますが、ペットにとってはいい迷惑だと考えるわけです。

犬猫に限って言えば、固体の特性を把握し、適切な飼育方法であれば「迷惑」ということにはならないと思います。犬も猫も感情を表す動物ですからそのへんは分かりやすいですね。
「迷惑だ」というか飼われることでストレスに感じるのは、知能の高い動物と、人工的に飼育施設を作りだすことが困難な野生動物です。
これらをペットとして飼うことはひたすら利己的にしかなりません。

>巷にいていいという考えではありませんので。
淘汰されるということですね。

>「犬猫を飼わないという選択」を人々が行っていくこと
飼える状況なのか否かの分別もつかない人や、悪質な飼い主を無くしていくという事で仰っているなら、現行法を機能させる体制を求めることが早道だと思います。

>ペットの管理費用
これは同意です。人によって嗜好の違うものに税金使うのはおかしいですね。

>飼えなくなった者は自分で殺すべきじゃないですか?
飼えなくなったらまず新しい飼い主を探すでしょ。引き取らなければならないのは人間の生活環境を守るためですから仕方ありませんね。でないとペットの遺棄がもっと増えてしまいますからコストの面でもよくないでしょう。
  • posted by キンピー 
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  • 2006.10/03 02:38分 
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ふわふわさん(追加) 

>飼われる犬猫の総数を限りなく減らしていくことがきわめて重要だと考えています。 

ペットを飼っている家の戸数と適切な管理をする飼い主が等しければ問題ないのではないでしょうか。
  • posted by キンピー 
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  • 2006.10/03 02:48分 
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>批判者の批判のためにエゴを持ち出すのは良くないと何度も言ってきましたが、どうやら理解できない人もいるようなので、もう一度言います。
・まず、なぜよくないのか?これを論じるべきでしょう。それを言明しない限りは、エゴの擁護にしかなりません。あなたの価値観では許されても、私には許されるものではありませんし、そのような道義的な問責が存在しないような人ばかりではありません。私だったら、批判されたことに対する対応はします。それが対人関係における礼節だと認識するからです。
>女史の批判者の多くはペット好きか、あるいはペットを飼っている方です。この方たちの多くはペットをコミュニケーションの相手としての「他者」として扱い、ある種”尽くす”ことによってエゴを利他的に転換している人たちです。
その転換が正しいといえないわけで、そこが問題なんですが?そこを見つめない態度が問題という意識がないのが理解できないのですが?ちなみに、動物を他者として置換してもいいのでしょうか?実際に、犬は犬であり、ペットはペットであります。人類の勝手都合で他者として認識され都合で扱われるペットたちのSELFを冒涜しかねないことをなぜ、問題にできないのでしょうか?
>しかし交配・出産・避妊の話になると「他者」としての子猫ではなくなり、女史の特異で主観的な自然の中で子猫(命)が語られていきます。その自然には”自分”というものが都合の良い形で現れては消えていきます。
・まずもって精査して理解するべきことは、飼い猫に中にある自然な生を氏も意識してるわけですね。で、子猫が他者でないというのはどこから思いつくわけでしょうか?女子が他者だとして認知するに至った形跡がないわけで、思い込みだということになります。そこらの自分の理解のベースが氏への理解を誤認になりかねないでしょう。ぜひ、子猫も他者だとしてることを例証してみてください。それなしに思い込みを前提に語られても困りますからね。
>そして子猫の処分に困った女史もまたリアルな自然に問題を還元するという「批判者の批判者」と同じ過ちを犯しています。
その過ちを氏が認めないわけではないでしょ。だから、批判を甘んじてるわけだが?甘んじてない証拠でもあれば出してください。あなたの思い込みだということを例証しましょうか?
>ペットに「他者」としての価値を見出しているにもかかわらず、価値から生まれた新しい価値については自分の都合の良い解釈で”リアルな生”の中に捨て殺したわけです。
だから、自己批判してるわけですね。それが間違いであるわけではないでしょう。批判にもなっていませんね。
私からすれば、あなたの理解力の問題だと一瞥できそうです。どこまで氏の指摘を理解してるのか?甚だ疑問ですし、思い込みのレベルで氏を糾弾してるとしか思えません。ぜひに、そう思う根拠をだしてください
(結局は、どうしてそう思うのか?という理由が出来上がってないわけですね。・・あなたは)
しかも、ありもしない論理を捏造してそれをベースにしてるわけです。だから、こちらがそんな論理が成立しないということで反論してもそれを理解しない、もしくは、論議の土壌にあげない。このように逃避活動によって、持つべき基礎的な情報が確保できないわけです。
例えば、議論対話における基礎認識の構築という作業が議論においては、必要です。あなたの場合は、その基礎認識の構築作業において、思い込みが露骨に存在してるわけです。だから、こちらが疑問に思うのに、あなたは思考停止してるから、議論として成立しないわけです。
誰だって、思ったことがそのまま該当すれば苦労はしません。あなたは、氏に対しての悪意からスタートしてるからこそ、上記で言及した存在してると言えないものを氏に該当させてしまうわけです。あなたの価値観を氏に置換させて考えてるということです。
もう少し思考回路を柔軟にすれば、氏の志向性が見えるとは思うのですがね
ちなみに、相変わらず、こちらの反論に回答しないですね?もっと言えば、あなたはまた「無視宣言」を破ってるわけです。このような自己矛盾と不整合を抱えてる人はやはり、問題あるとしか認識できませんが、ご自身はよほど「まとも」だと思ってるようですが、なぜ、まともな人が反論できないのか?という問題を思案することをお勧めします。
A,Bの二つの選択肢があって、「Aではないなら、Bである」と考える短慮さがあなたに見えるんですよ。そこにC,Dを見出すフレキシブルさがあれば、わかるとは思いますがね
(物事を教える立場ですが、あなたのような部類は結構います。思考停止した人はそれで成長しないのですが、現代社会は、それを咎めることは多くはありません。それは、情報飽和社会ゆえの甘さですが、議論の土壌では、その甘さが露呈することがしばしばです)
  • posted by self0507 
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  • 2006.10/03 04:22分 
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>犬猫に限って言えば、固体の特性を把握し、適切な飼育方法であれば「迷惑」ということにはならないと思います。
・思うのは自由だけど、それがどれだけ可能なのか?という問題があるよね。そもそも「迷惑」にならないという根拠さえないわけだ。犬猫は人類が馴致してきた歴史があるが、今でも被害があとを立たない事実がある。そこらを踏まえれば、「迷惑」かからないなんて保障はないはずです。
>犬も猫も感情を表す動物ですからそのへんは分かりやすいですね。
・感情がわかり易いというのは、実際にどれだけのレベルで感情がわかるのでしょうか?第一、それが分かる飼い主ばかりではないはずです。むしろ、分からない飼い主の方が多いわけですからね。
>「迷惑だ」というか飼われることでストレスに感じるのは、知能の高い動物と、人工的に飼育施設を作りだすことが困難な野生動物です。
・どうしてこんなことが分かるのでしょうか?是非、ストレスのない動物がいるならば、提示してください。
>これらをペットとして飼うことはひたすら利己的にしかなりません。
。そもそも、ペットは犬猫だけではなく、馴致に至れない動物を志向する飼い主もいるわけだ。自分は犬猫だから、問題ないということでいいのだろうか?
>>「犬猫を飼わないという選択」を人々が行っていくこと
飼える状況なのか否かの分別もつかない人や、悪質な飼い主を無くしていくという事で仰っているなら、現行法を機能させる体制を求めることが早道だと思います。
・そもそも、動物を飼う資格というのは、知識や経済力などで判断可能なのだろうか?
>ペットに話を戻せば、動物に他者性という価値を見いだし、ペットとして飼いたいという欲。そこからペットを大切な他者として扱い、利他的な行為に消化させていくことで、人間が人間らしくいられるわけです
・そもそも、ペットに他者を見出すことがエゴでしょう。他者を代替する人間がいるわけで、コンビニエンスな感覚でペットを他者だと規定しているだけです。ペットは人類にとっては、別世界の種族の他者であるから、ペットとして存在してるわけですからね。本当に他者ならば、ペットを人類と一緒にして扱うはずです。
>「自分のやっていることは利己的ではないか」と良心の呵責にさいなまれたり、利己的な行為から逃避するより、どうすれば利己的な行為が利他的なものに変わるのか?を追及する方が豊かな人間性を育めるように思います。
どうしてそう思えるのだろうか?むしろ、利己的な行為が他者利益に置換するだろうと思い込むから間違うことの危惧がないのでしょうか?あなたのいうより豊かな、というのは、あなただけの感性であって、支配される側の感性を想定していないわけですね。むしろ、そうやって、エゴから逃避することで、自己正当化しようと足掻く姿がエゴという罠さえ気づけないようで・・・エゴのスパイラルにも留意できないから、認識が浅いということになるのですが・・・分かってくれないのでしょうか?

ちなみに、どうしても「動物を飼いたいというならば、一度、飼い主も動物化して生活してみてほしい」とか思えるようになりました。意思伝達できない辛さを飼い主自身が被害者・被支配者になってみれば、そりゃ、恐ろしくてペットは飼えなくなると思います。
ちなみに、自分は動物を金銭で買うことすらも恐怖感がありますし、犬に洋服を着せるなどもありえないペットの姿を傍観することはできません。
「考えすぎだよ」と言われるくらい考えてペットを飼わない道を選んだわけですが、これがおそらく正解だと論理的に自信もありますし、「考えが浅いからペットが飼える」なんだと思います。
同時に生きる労苦程度の低い日本人だからこそ、ペットを飼うエゴを保持してるという認識だってできます。飼ってるペットの餌代でどれだけの人間が救えるだろうか?とか・・・・
  • posted by self0507 
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  • 2006.10/03 05:00分 
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っで 

数々の疑問や指摘への返答は、私のコメントの中や女史のコラムの中に書かれていますので、そちらをお読みください。
また動物の思考についての疑問ですが、客観的行動から動物の思考を判断しています。現在有効活用されている動物学を否定するに至る指摘ではありませんので、答えようがありません。
  • posted by キンピー 
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  • 2006.10/03 12:01分 
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土佐高知 サン 


>野良猫や野良犬の繁殖、増加を防ぐためには、必要な措置かと思います。

助成金がなければ犬猫の飼い主は、繁殖制限手術をしないであろうということが前提のお考えなのでしょうか?つまり、助成金があるから、飼い主が手術をするという・・・また、野良犬や野良猫の繁殖制限手術のためにも助成金が必要ということでしょうか?
  • posted by ふわふわ 
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  • 2006.10/03 12:53分 
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中立・・・さん 

>私はそのような状況判断が人間の主観に過ぎないのではないか?と言っているのです。↑のような動物の幸不幸は人間では図れませんし、個々の動物によっても感じ方は異なるでしょう。

例えば、我が家の猫どもは、獣医に行くためにケージに入れ車に乗せるというそれだけのことで、もう不安がりますし、犬の方は散歩に行けると判断した際には大喜びしています。彼らが不安がったり、あるいは喜んでいるのは、状況を見れば分かります。

間近で牛舎の牛を見たことはありませんが、大学の馬術部の馬は見たことがあります。馬一頭が立っていられる広さでしたが(専門家によると普通の広さ)、常同行動をしていて明らかに外に出たがっているのが分かりましたよ。

散歩に行きたがらない犬の例は、例外中の例外って気がしますけれど、犬を飼うのであれば、屋内で飼ってあげるべきだと考えていますので、外につなぎっぱなしという飼い方が当たり前と考えていらっしゃるなら?と思います。

↑>の牛や動物園の動物に関しても、少なくとも毎日の生活の安全と食事は保障されている(特に最近は動物福祉の充実の風潮が強い)わけで・・・

ストレス状態にあるのはホッキョクグマだけではないと思いますけれど、「環境エンリッチメントの方策をとっている」、「五つの自由に配慮している」、だからいいじゃないかという心理、それを免罪符にしていることに?と感じるわけです。

  • posted by ふわふわ 
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  • 2006.10/03 13:02分 
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キンピーさん 

>飼えなくなったらまず新しい飼い主を探すでしょ。

私が言いたいのは、「飼う前に、将来自分で殺すことになるかもしれないという覚悟を持って飼い始めるべきだ」ということでもあるのだけれど、必ず、譲渡できるとは限らないでしょう?

それと、「飼えなくなったらまず新しい飼い主を探すでしょ。」と当たり前みたいにサラリと仰ってるけれど、自分が飼育放棄しているのだから、譲渡先に対して、厳しい譲渡条件をつけるとは考えにくい・・・「終生飼養してくださいよ」とも言えないですよね。

つまり、新しい飼い主はその人と同レベルかそれ以下である可能性が高いですから「更なる遺棄」になる可能性もある・・・ペットの気持ちを考えたら、そう簡単にそのようなペットのリサイクルはできないはずでしょ?

つまりは、飼えなくなったら譲渡すればよいという前提でもってペットが飼われているわけですが、ここから見えてくることがあるのではないでしょうか?

>ペットを飼っている家の戸数と適切な管理をする飼い主が等しければ問題ないのではないでしょうか。

ペットの総数は少なければ少ないほどいいと思います。24日のエントリーのコメントでも書いたけれど、環境面および将来に渡ってペット用の食料が確保できるのか?という点から考えると、ペットの総数を減らすことに目を向けるべきだと思うし、これがもっとも重要だと考えています。

  • posted by ふわふわ 
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  • 2006.10/03 19:55分 
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ふわふわさん 

>飼えなくなったらまず新しい飼い主を探すでしょ。

ふわふわさんの「飼えなくなったら殺す」ということについて書いています。
短い文書なのでもう一度お読みください。
それと譲渡されるということは違う環境に行くということで同じであるはずがありません。

>「更なる遺棄」になる可能性もある
新しい飼い主も「覚悟」飼うわけですから、遺棄した場合刑事罰の対象ということで、一定の歯止めは出来ると思いますが。

>つまりは、飼えなくなったら譲渡すればよいという前提でもってペットが飼われている
ふわふわさんの回りの方はそんなふうにして飼ってるんですか?

>ペットの総数は少なければ少ないほどいいと思います
24日のエントリーのコメント拝見させていただきました。
ネタかと思って突っ込まなかったのですが、、、
  • posted by キンピー 
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  • 2006.10/04 02:18分 
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キンピーさん 

エゴからの逃避
「ペットを飼うことはエゴだ」という意見があります。たしかにエゴです。
エゴから解放されるには、エゴな行為をしなければ良いのか?一見そのように思われるかもしれませんが、エゴから逃げ回ると最終的には自分を無くすしかありません。自分が自分である以上、エゴからは逃れられることは出来ないわけです。
 エゴを受けとめるのではなく、エゴを避けるために「ペットを飼わないことが一番よい」という意見があります。この忠告自体がエゴなのですが、もしこの忠告に従って、ペットとして飼われていた動物を飼わないとします。ペットとして飼われていた動物の多くは人間に依存し、種の保存を続けてきましたので、当然生きていくことが出来ない個体が出てくることや、種そのものの絶滅が容易に予測できます。これも人間のエゴです。

↑これは正しくないです。何故か?あなたは「動物を飼うことはエゴだと認めるが、それでも飼うことを良しとするスタンスをとる」ことを選択したが、私は「動物を飼うことはエゴになるので飼わないことを良しとするスタンスをとる」ことを選択したというただそれだけのことだからです。エゴから逃げるとか自分を無くすとかというのは全く見当違いです。

また、「ペットを飼わないことが一番よい」という「忠告」はエゴではなくただの意見です。常識的に考えて、「ペットとして飼われていた動物を飼わないとします」という行為はあり得ないでしょう?今現在、犬も猫もそれぞれ1000万世帯以上の家庭で飼われています。中には両方飼っている家もあるでしょうからもう少し少なくなるのでしょうが、「飼わない方がいいのが分かったので今から飼うのをヤーメタ」といって放り出すなんてことが現実に起こり得ますか?


>犬猫に限って言えば、固体の特性を把握し、適切な飼育方法であれば「迷惑」ということにはならないと思います。犬も猫も感情を表す動物ですからそのへんは分かりやすいですね。

「動物を飼うことはエゴになるので飼わないことを良しとするスタンスをとる」人でないと「癒し」だとか「アニマルセラピー」だとか「子供の教育にいい」などという理由で動物を飼うのは実は動物の利用であって、動物の身になったら「繁殖制限手術+諸々の役割を期待される」でいい迷惑だろうとは考えられないのでしょうね。

>淘汰されるということですね。

今と同じです。

>飼える状況なのか否かの分別もつかない人や、悪質な飼い主を無くしていくという事で仰っているなら、現行法を機能させる体制を求めることが早道だと思います。

法律は使われなければないのと同じですし、法律は国民のレベルを反映している、つまり国民のレベル以上の内容にはならないですから・・・。と述べた後でこれを言うのは全く矛盾するのですが、国民が賢くならなければならないのでは?と思います。賢くなることでより法律を充実させ、かつ「飼わない選択をする人」「飼えない人」が増えていくのが理想なんじゃないでしょか。

>それと譲渡されるということは違う環境に行くということで同じであるはずがありません。

おっしゃりたいことをもう少し具体的にまとめていただけないでしょうか?

>新しい飼い主も「覚悟」飼うわけですから、遺棄した場合刑事罰の対象ということで、一定の歯止めは出来ると思いますが。

文字通りの遺棄のみでなく、要は、きちんと飼ってもらえない可能性があるということです。つまり、ペットが年をとったからとか、引っ越すとか赤ん坊が産まれる等という理由で途中で飼えなくなったと言う人は、実はきちんと動物を飼っていなかったとしか言えないわけで、そういう人の譲渡先も似たり寄ったりだと考えるのが自然ではないかと思うわけです。

>ふわふわさんの回りの方はそんなふうにして飼ってるんですか?

「飼えなくなったらまず新しい飼い主を探すでしょ。」とキンピーさんがおっしゃったので、そういう前提があるのかな?と思ったのですが違うのですか?私は自分が飼えなくなったら安楽死します。

>ネタかと思って突っ込まなかったのですが、、、

↑おっしゃる意味が分からないので説明してください。

ペットの問題は、多角的に考える必要があると思います。何故か?まず、ペットとして飼われるのは、犬猫のみではなく様々な生き物が対象になっていますから、こちらにも目を向けなければいけないと思います。犬猫だけがかわいそうではないわけです。

そして、環境問題や食糧問題とも関連させて考える必要があるのは前述した通りです。
  • posted by ふわふわ 
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  • 2006.10/04 18:30分 
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薩摩長州さん 

>地域猫活動をされている方々は野良猫の餌やりのあとの片付け掃除、糞の始末は欠かさないとききます。
それは、そのことを放棄することによって野良猫たちがまずさきに虐待などの対象になるからに他なりません。そのような人たちが坂東にたいして心底から怒りを感じて糾弾し続けているのです。それはバッシングなんて甘い言葉で表現されては、はなはだ心外です。

地域猫活動の人たちが坂東さんに対して心底怒りを感じて糾弾し続けているとのことですが、何故、坂東さんだけに心底怒りを感じ糾弾するのでしょうか?

地域猫活動を100%否定するわけではありませんが、本質は無責任飼い主あるいは無責任餌やりの後始末でしょう?地域猫活動をする人はこのような無責任飼い主や無責任餌やりに怒りの声をぶつけているのですか?私は聞いたことがありませんけど・・・

法律で、動物の遺棄は法律で禁止されていますけれど、野良犬や野良猫に餌を上げて10匹20匹と増やしている人も飼い主のいない犬猫を社会に送り出しているという点では共通しているのであって、坂東さんより数倍無責任じゃないですか?

飢えている動物に餌をあげようと思うのは自然の感情だとは言えるかもしれないけれど、餌を上げるのであれば何故自分で飼わないのか?なぜ繁殖制限手術をしないのか?何故その猫に対する責任を引き受けないのか?餌をあげているということで、増やすことは問題視されなくていいのでしょうか?

無責任な飼い主や餌やりに対して怒りの声をあげない地域猫をやっている人たちに、坂東さんを批判する資格があるのですか?私は、地方に住んでいるので、無責任な餌やりで増やされて悲惨な状態にいる犬猫をしょっちゅう目にしています。

地域猫活動をしている方たちも1度、殺処分場を見学してくるといいのではないですか?私は、60匹の犬猫が殺処分された翌日に見学させてもらいましたが焼却炉の中に子ねこの骨や灰が積もっていました。見学に行かないまでも、無責任な餌やりで増やされた犬猫がこのような灰になっていることも想像できるのではないですか?
  • posted by ふわふわ 
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  • 2006.10/04 18:36分 
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ふわふわさん 

なんだか私の知らない人が書いたと思われる作文に批判しておられるようですが、、大丈夫ですか?(w

他の疑問点は私のコメントに回答が書いてありますのでそちらをご覧ください。
それと私がネタといったものの内容ですが、ペットとは直接関係のない環境問題(直接関係あるのは野良犬野良猫ぐらいでしょ)・食料問題で論じておられるようですが、ペットを飼わないことでどれほどの効果が期待できるのでしょうか?
  • posted by キンピー 
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  • 2006.10/05 02:39分 
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はじめまして薩摩長州です。ふわふわ様とはお初となります。

こちらのエントリーにコメントさせていただいたのですが、奈梨様とself様にレスをいただきました他は音沙汰なく、「エゴ」論をめぐって白熱する論議の前に吹き飛ばされてしまったような感ありでして、チリ人民連合のほうへおじゃましておりました。たまたまこちらをのぞきましたら、私を呼ぶ声がありましたものですからおじゃましました。

ふわふわ様は地域猫活動を100%否定するわけではないとのことですが、ならばいかほど理解していただけるのでしょうか?
私は90%くらいですかね、いろんな考え立場の方がそれぞれの持ち場で、野良猫を保護して、避妊去勢して、リリースしてともに生きる地域猫活動ですから、ときに同意できないこともあったりしますので。

私も無責任な飼い主や、無責任餌やりにたいする怒りがすごくあります。でもネットで訴えようにもサイトもブログも開設できずにいる情けない人なので、このことを日本全国津々浦々に広く知らしめるような、よい方策をふわふわ様がおもちでしたら。ぜひともおしえていただけたらと思うばかりです。

坂東氏に激しい怒りをおぼえるのは、ネットや行政への陳情など地道な口コミと個人ベースでの多くは自腹をきっての地域猫活動にたいして、マスコミという媒体を通じて日本中 北は北海道 南は沖縄までひろく子猫殺しをアピールしたことが問題なのです。
当然媒体となった日本経済新聞も同じレベルで糾弾されてしかるべきでありしています。インターネット環境という福音のおかげで
まるで革命家が権力の弾圧からのがれるため地下に潜伏するかのようにひっそりとおこなわれてきた無責任な餌やりは、いまはまだわずかかもしれませんが地域猫活動が世に知られるようになり、避妊去勢の認識もひろがり、地域猫活動へと形をかえてきています。里親探しも地域の枠にとらわれないものとなり救える命の可能性もひろがってまいりました。
そんな、骨身を削るような努力によってきりひらかれた地平をいっきにひきもどすようなアピールです。生まれたら殺せばいいではないか、という言葉は地域猫活動とは相容れません。人倫においてもおおっぴらに言って欲しくないことです。と思うのです。

ふわふわ様も悲惨な野良犬や野良猫をよく目にしておられる、私もです、痩せて汚れて可哀想な限りです、近所の実家の借家に無責任な餌やりさんがいてふやしてしまったのです。子猫7匹はいまうちで暮らしています。8匹は幸運なことに里へだすことができました。そして餌やりさんには厳重注意をさせていただきました。ならばふわふわ様も地域猫活動をされたらいかがでしょうか、ともに全国で活動されておられるみなさんと手をたずさえてともに不幸な命を救ってまいりましょう。

最後に地域猫サイトで各地の動物愛護センターや管理センターを写真入りで紹介しているものが多くあります。殺処分をまえにした犬の写真などはただただ悲しいばかりです。情けないですね。

それでは失礼いたします。
  • posted by 薩摩長州 
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  • 2006.10/05 15:53分 
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薩摩長州さん 

>ふわふわ様は地域猫活動を100%否定するわけではないとのことですが、ならばいかほど理解していただけるのでしょうか?

地域猫は100%の住民の同意がないと成立しないと思いますので、一時的な対処と位置付けるものだと思います。ところが、今や地域猫が1人歩きしてどこでもかしこでも地域猫が叫ばれている・・・何故か?餌やりさんにとってきわめて都合がいい策だからでしょう。皆飛びついたって感じですよね。そして、地域猫を定着させようとしてらっしゃる。

でも、地域猫って飼い主のいない猫がいないと成立しないのですよね?

>私も無責任な飼い主や、無責任餌やりにたいする怒りがすごくあります。このことを日本全国津々浦々に広く知らしめるような、よい方策をふわふわ様がおもちでしたら。ぜひともおしえていただけたらと思うばかりです。

「無責任な飼い主や餌やりに対する強い怒り」は、「坂東さんに対する強い怒り」と同等のものなのでしょうか?つまり、糾弾する対象になっているのか?という意味です。

私は、動物の遺棄と無責任な餌やりで増やすことは、飼い主のいない猫を社会に送り出すという点で共通しているので同罪だと思うのですが、薩摩長州さんはいかがですか?

また、この問題は、日本全国津々浦々に広く知らしめる必要はないと思います。田舎でない限り人の住む所どこでもこの問題がありますから。

>坂東氏に激しい怒りをおぼえるのは、ネットや行政への陳情など地道な口コミと個人ベースでの多くは自腹をきっての地域猫活動にたいして、マスコミという媒体を通じて日本中 北は北海道 南は沖縄までひろく子猫殺しをアピールしたことが問題なのです。

↑スミマセン。日本語がよく分からないのですが、「子猫殺しは、飼い主のいない猫を救済する地域猫活動に対する挑戦とも言える行為だ」とおっしゃりたいのでしょうか?

産まれたばかりの子猫を殺していることを公に対して自ら明らかにしたことは坂東さんの失敗でしょうね。そこは、批判されても当然でしょう。でもアピールという要素は私はないと思います。何故か?坂東さんが述べている他の部分を読めば子猫殺しのアピールなどではないということが分かるのではないですか?

薩摩長州さんは、このコメントの最初の段落で、『「エゴ」論をめぐって白熱する論議の前に吹き飛ばされてしまった・・・』と書いておられて、エゴ論争には参加されなかったこと、また坂東さんが述べている「人は他の生き物に対して、避妊手術を行う権利などない。生まれた子を殺す権利もない。」という部分には言及していらっしゃらないことをみると、エゴ論争にはご興味ないようですね。

ところで、薩摩長州さんは、問題は、「マスコミという媒体を通じて日本中 北は北海道 南は沖縄までひろく子猫殺しをアピールしたこと」だとおっしゃる。
でも私は、前述したように、坂東さんが「子猫殺しをアピールした」とは、全く考えません。むしろ、「人間が動物を飼うことの意味」について問題提議したのであろうと考えます。私から見ると「子猫殺しをアピールした」という表現を使うこと自体、坂東さんの行為に対する批判が感情的なものであったことを如実に示しているとしか思えないのですが、この点どうなのでしょう?

それと、坂東さんのエッセイのごく一部を切り取ってそこだけを批判し他の部分に言及しない構造と、地域猫の方が餌やりさんの餌をあげるという行為は肯定し、飼い主のいない猫を社会に送り出しているという無責任な部分には言及しない構造に一定の共通点・・・つまり理論ではなく感情に基づいた行為とでも言えばいいのか・・・があると私は考えるのですが違うでしょうか?

>当然媒体となった日本経済新聞も同じレベルで糾弾されてしかるべきであります。

坂東さんのエッセイに対しては、賛否両論あるわけで、私のように「動物を飼うという人間のエゴ」についての問題提議をしたと捉える者は、日本経済新聞に対してマイナス評価はしないでしょうね。

>インターネット環境という福音のおかげで
まるで革命家が権力の弾圧からのがれるため地下に潜伏するかのようにひっそりとおこなわれてきた無責任な餌やりは、
いまはまだわずかかもしれませんが地域猫活動が世に知られるようになり、避妊去勢の認識もひろがり、地域猫活動へと形をかえてきています。里親探しも地域の枠にとらわれないものとなり救える命の可能性もひろがってまいりました。

↑ふふふ、この文章面白いですね!通常、地下活動が無責任という言葉で形容されることはないと思いますので。“ひっそりと”というのは周囲を気にしながらの餌やりを指しているのだとは思いますが、ここでおっしゃりたいことは「餌やりという行為は肯定されるべきもので、ここで増えた猫は地域で飼う猫にしましょう」ということですね。

いずれにせよ、周囲に気兼ねしながら行うということは、マイナス評価があるということを認識していると言えますね。でも中には、そんなことはおかまいなしのやっかいな人がたくさんいます。

>生まれたら殺せばいいではないか、という言葉は地域猫活動とは相容れません。

うーんと、「生まれたら殺せばいいではないか」とこの言葉だけを聞くと、どこかのガサツなオッサン(オッサンごめんなさい)が粗野な思考の結果として言ってるようなニュアンスを感じるのですが、

仮にも作家という頭脳明晰な方が「動物を飼うという人間のエゴ」について深く考えたうえでとった行為であるわけですから、薩摩長州さんがおっしゃるように「生まれたら殺せばいいじゃないか」という粗野な思考の結果とはちょっと違うのではないですか?

それに、粗野な思考の結果出てくる「生まれたら殺せばいいではないか」という発想は地域猫活動に限らず、どんな活動とも相容れないと思います。でも、「生まれても殺される」という状況は至るところで見られますよ。これは、地域猫活動も無縁じゃないです。

地域猫は100%の住民の同意を得た上でないと成立しないわけですが、これって不可能じゃありません?地域猫をやってる地域で猫が立て続けにいなくなったり、毒餌を食べて死んだりということが実際に起きていますし、無責任な餌やりで増やされた猫が虐待死したり、病気や怪我や交通事故で死んだり、冬に凍死したり、そして保健所で殺されたり・・・とたくさん死んでいます。

これって、結局無責任な飼い主や餌やりが死に追いやっているのですから、間接的な殺しだと私は考えるのですが・・・だから、誰も坂東さんを批判する資格などないんじゃないの?と思えるわけです。

結局、飼い主のいない猫を救うと言っても、現実にはそのような気持ちのある人の目に入った猫しか対象にならないわけで、救ってもらえなかった猫がたくさんいる・・・そこにも目を向けて、じゃ、どうすればいいのかと考える必要があるのではないでしょうか?

犬もまたしかりで、我が家周辺には野犬化した犬がたくさんいますが彼らもよく交通事故で死んでいますし、怪我をしてもそのままの状態で徘徊していて悲惨です。猫と異なり犬に対処するのは非常に困難で、特に野犬に対処するのは一般ではまず無理です。

>子猫7匹はいまうちで暮らしています。8匹は幸運なことに里へだすことができました。そして餌やりさんには厳重注意をさせていただきました。

無責任な餌やりが増やした子猫を引き取ることは、一方では無責任な人間の後始末でもありますよね。その15匹の繁殖制限手術の費用はその餌やりが出すのですか?それに、譲渡した子猫が幸運であったかどうかは寿命をまっとうするまで定期的に連絡をとっていかないと分からないと思います。

>ふわふわ様も地域猫活動をされたらいかがでしょうか、

まず、今必要なのは、飼い主責任を強化することだと思いますので、飼い主責任をボカす地域猫活動をするつもりは、私は全くありません。

たいていの餌やりは、「餌をあげているだけで自分は飼っていない」と言いますけど、地域猫の方たちは飼っているのですか?それと、地域猫は飼い猫なのですか?それとも野良猫なのでしょうか?

あと、私も人のことは言えないのですが、飼う動物の数は地震などの災害の時に対処できる頭数にしておく必要がありますよね。

>ともに全国で活動されておられるみなさんと手をたずさえてともに不幸な命を救ってまいりましょう。

「命を救う」という言葉は曲者だと思います。理由はまたいずれ。

>殺処分をまえにした犬の写真などはただただ悲しいばかりです。情けないですね。

動物の問題は人間の問題として捉えないと解決できないですから、悲しく情けないと思うのであれば、なおさら飼い主責任を強化して、無責任な飼い主を許さない社会を構築すべく努力する必要があるのでは?と思うのですけれどね・・・ 何故なら地域猫だけに視点を当てても、地域猫の理念が通じない人と場所が必ず存在しますし、地域犬とか地域フェレットとかできないですから・・・
  • posted by ふわふわ 
  • URL 
  • 2006.10/06 12:07分 
  • [Edit]

おつかれさんです 

ふわふわさん(私は敬意をもって論理的な討論をするときは様を使う)無内容な長文ご苦労様です。
けろりさんがあきれて去っていったので、今度は私にいいがかりですか。私は結構です。
私はあなたのレスを最後まで読む気もしませんでした。あなたの言葉尻をとらえて好き勝手な解釈をつけて相手を論破したような気分になる幸福に、協力するつもりは毛頭ありません。そんなことに貴重な化石燃料を消費して生み出された電力を無駄に消費するつもりはありません。

もしも、あなたが真摯に討論を望むのなら、私がこのエントリーに投稿した内容を「猫の糞」問題に矮小化せず。
全文を熟読吟味し、それに対する総合的な批判をもって自分自身の考えを問題を提起してください。人の言葉尻をとらえて好き勝手な解釈をつけることは簡単なことです。私はできるだけ>引用符を使わない論理の展開を心がけています。

討論とはいかに辛辣な表現になっても、相手への敬意を失わないこと。そうすれば二人がともに真理に近づくことができる。
そのプロセスがうれしい、たのしい、で頭をひねって考えるのだから。辛辣なことではself様は一流ですが、その論理の展開力も内容も一流です。私などぐうの音もでないこともあります。それほどのものであれば、私も全力で反論を試みるのですが、このたびのあなたのレスはそんな気もおきませんので、あしからず。この程度の問題提起では私は、釣れません。永遠にさようなら。
  • posted by 薩摩長州 
  • URL 
  • 2006.10/06 21:01分 
  • [Edit]

薩摩長州さん 

何故けろりサンが出てくるのか分かりませんが、けろりサンの私に対する最初のコメントは甚だ無礼な書き様であり、さらに質問の回答を求むとしながら、私が多忙の中回答しようとしたら「もう結構」となっており、何かの映画にあった「君に必要なのはマナー教室だ」というセリフをそのままお返ししたいようでもあったのだけれども、薩摩長州さんは、相手に対する敬意が必要だと仰りつつそれは問題にはなされない。

また。「坂東氏は飼い主として繁殖管理を放棄し、なおかつ社会人として法を守る責務も放棄したと言わざるをえません。」とおっしゃりながら、厖大な数の餌やりさんたちが繁殖管理を行わないことに対しては何ら責任を問おうとはされず、さらにそれらの猫を間接的に殺している状況があるではないか?と指摘するといいがかりだとおっしゃる・・・

それに、薩摩長州さんが上でお書きになったコメントを熟読吟味したうえで私に意見を述べよとおっしゃりつつ、薩摩長州さんご自身が坂東さんのエッセイを熟読し分析されているとは考えられない・・・

というか、坂東さん批判派と坂東さん擁護派がお互いに自分の論が正しいと主張しあってもそこにさほどの意味を見出すことはできないでしょう。あなたはそう考えるが私はこう考えるというところに落ち着くしかないですから。

重要なのは、その落ち着いたところで、批判派擁護派共に、今現在の動物が置かれている現状に問題があると見做すのか否か、前者であれば、それに対して何をするかあるいは何もしないか・・・そこにおける自分の言動に整合性があるか否かを考えてみるということでしょう。

  • posted by ふわふわ 
  • URL 
  • 2006.10/07 14:22分 
  • [Edit]

 

とりあえず、個人的に始末的に総括すると、今回の問題は自己擁護したい両者の「自己肯定のための他者批判」でしかないのである。両者とも所詮は、エゴであることを認知していない(していればいいのだが)時点で、それまでであるし、それ以上の発展はないのだろうと思う。
ただ、議論でいつも思うのだが、白黒つけるという発想からくる議論手法だろう。時に「議論のための議論」はナンセンスだというのが、議論の手法とスタンスを確認する行動が批判されるべきものではないし、その批判は「自分の土俵を設定した上での議論にしたい」という意図でもある。(そういう狭量さがない人は「議論のための議論」という批判はしないものであるが)
結局は、中立的な見解に収斂してしまうわけだが、どちらが正しい問いえるほどのものがないのは事実だろう。
自分にも責があるとして、それ以上の罪科を他者に見出してその責を問う行為は、故事成語の「五十歩百歩」そのものであるし、その批判を受けて当然である。その五十歩百歩の意識さえないで自己肯定のために他者批判している連中への批判ができるのが、それこそ、ペットを飼わない、極力人類としてほかの動物にかかわらないようにしている人間だけではないだろうか?(これも程度論なのだろうが)
要は「罪の自覚」という問題である。それがない人には、どれだけ意見喚起してもそれを受け入れないだろうし、反発するだけである。「罪ではないと思い込みたい輩」というのはそれで発展を見ないわけだが、そのようなレベルにはなりたくないはないと思う。五十歩百歩にしても認識できる、できないでは、次元が違うという解釈も成立するのだから・・・
  • posted by self0507 
  • URL 
  • 2006.10/12 07:40分 
  • [Edit]

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男性/スライム系(LV61・HP715・MP1952)/高知県に生息/酒席は好きだが、晩酌はしない/どちらかといえば「凝り性」/美徳は「きまぐれ」/ウルトラマラソンに向かって日々鍛錬中!!/嫌いなことは陰口と意見を無視する態度
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