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米ソ合同千島占領作戦

年末にニュースが飛び込んできた。
ヤルタ秘密協定(米英ソ)にもとづいて、日本固有の領土である千島列島を旧ソ連に引き渡すことが決められたことは知っていたが、まさかその軍事作戦まで米国が支援していたとはビックリ。
北海道新聞が昨年12月30日に報じた。
----(引用開始)-----
1945年8、9月に行われた旧ソ連軍による北方四島占領作戦に、米国が艦船10隻を貸与していたことを、根室振興局が米国とロシアの専門家による研究成果などを突き合わせ、明らかにした。
(中略)
振興局の調査結果によると、樺太南部の返還と千島列島の引き渡しと引き換えに、ソ連の対日参戦が決まった45年2月のヤルタ会談の直後、ともに連合国だった米ソは「プロジェクト・フラ」と呼ばれる合同の極秘作戦をスタートさせた。
米国は45年5~9月に掃海艇55隻、上陸用舟艇30隻、護衛艦28隻など計145隻の艦船をソ連に無償貸与。4~8月にはソ連兵約1万2千人を米アラスカ州コールドベイの基地に集め、艦船やレーダーの習熟訓練を行った。コールドベイには常時1500人の米軍スタッフが詰め、ソ連兵の指導に当たったという。
----(引用終了)-----
1945年4月といえば、旧ソ連が日ソ中立条約の破棄(不延長)を日本に通告したにも関わらず、日本は旧ソ連を仲介にした終戦協定をスタートさせようと模索していた時期。
すでにその時、米国は日本攻撃に備えていた旧ソ連軍に軍事支援を始めていたわけだ。
日本外交の不明ぶりは定評があるが、ここまでコケにされていたとは…。
領土不拡大を旗印にしたはずの連合国の大義を、軍靴で踏みにじった米ソの暴挙。
時代を超えて糾弾されつづけなければならない。
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NoTitle
しかも日本領土奪還の周到な策略を立て、寝返り、戦後実際に軍事行動によって、日本の領土(北方領土)を奪ったのはソ連です。
シンプルに考えてみてください。言葉ではなく行動を見て下さい。
日本の領土を強奪した国はロシア(旧ソ連)です。
返還しようと思えばできた北方領土を現在まで返却しなかったのはロシアの責任です。
北方領土に軍事基地を作り上げ恫喝している国はロシアです。
●建国以来のほとんどを侵略や戦争に費やし領土拡大に執着して巨大化したロシア。
●帝国ロシア後のソ連は更に欧州や中東領土拡大に動くがドイツのソ連侵攻により世界戦争へ。
●1943年10月、ソ連は米英ソ外相会談を行い、11月のテヘラン会談で「日露戦争に敗れポーツマス条約で失った南樺太や大連の租借権など帝政ロシアの領土・権益」を要求。
●1944年12月、ソ連は日独の敗色が濃厚となった時に日露戦争の“損失”ではない千島列島も南樺太と合わせて要求。
●1945年2月、ソ連はヤルタ会談においてルーズベルトとの合意内容を「文書化」することを提案、スターリンが草案を創り上げる。
●ソ連は満を持して連合国側に寝返り、対日戦に参戦。
●1945年8月9日、日本は不可侵条約を結んでいたソ連を仲介にして停戦交渉を考えていたが、ソ連に不可侵条約を破られ宣戦布告され、ソ連軍157万人が満州侵攻、日本人民間人の多くが虐殺され、また65万人が連行され労働のうえ殺されている。
●1945年8月14日のポツダム宣言(敗戦)受諾後も、ソ連は北海道にまで侵攻。
ポツダム宣言条件文は、日本への条件だけでなく、戦勝国どうしにも条件をつけている宣言であり、その約束にソ連は違反。
●ヤルタ密約は「当事国が関与しない領土の移転は無効」という国際法の条文に明白に違反、ソ連・ロシアによる南樺太及び千島列島を侵略・占領する法的な根拠は無いが、ソ連側は事前の周到な連合国側への参戦草案を盾に、北方領土の領有は第2次世界大戦の結果、戦勝国のソ連が獲得したので「日露間に領土問題は存在しない」と主張。
●それどころか終戦後に、ソ連は連合国側に対し、日本を東西に分裂させて東側をソ連領とすることを主張、強い圧力をかけた。