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土佐高知の雑記帳

四国西南部から徒然なるままに、祖国の右傾化、田舎切りすてに異議申し立てほえる。靖国神社の戦争犠牲者冒涜に怒りの発信!軍需産業=吸血鬼を暴き出すお気楽バンパイア・ハンター(^○^)

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潜と秋水から学ぶもの

ある本を読んでいたら、獄中から秋水が片山潜に手紙をおくって、片山潜にエールをおくった、というお話にぶつかった。
その本は「物語 日本近代史」(新日本出版)である。

二人は社会民主党の左派と右派に属していて、激しく論戦していた間柄だったので意外に思い、調べてみた。



こういう問題では、秋水の出身地の図書館だけあって心強いかぎりである。
知り合いの職員に尋ねるといくつか本を出してくれた。「全集」と「幸徳秋水の日記と書簡」(未来社)である。

「全集」にはなかったが、あとの本にはあった。
要旨は次のとおりである(自分流に直した)。
「久しぶりの手紙をうれしく拝見しました。ますますのご活躍、ご奮闘うれしいことです。私も充分の平和と満足をもって運命を受け入れておりますから、ご安心ください。なお社会民主のため、お身体のことや休息のことなど、ご自愛を祈ります」
日付は明治44年1月23日となっているから、処刑前日である。まさに秋水の絶筆はこれだったのだ。

片山潜は1959年生まれ、幸徳秋水は1871年生まれだから、二人は12歳も年がちがう。
論敵同士ではありながら、年上の片山潜へそそぐ秋水の思いやりはあたたかい。
と思って、前のページをみると、1月22日付の堺利彦宛の秋水の手紙に、片山潜について書かれた部分があることを発見した。
これは原文で紹介する。
-----(引用開始)-----
片山潜君から母に対する見舞い状をくれた。覚束ない候文でもののあわれを感じた。ボクはあの人に深く同情する。
----(引用終了)------

何なんだろう。
秋水の母は、前年の12月に獄中の息子を思いながら病死した(秋水は獄中で面会にきてくれた母親が、涙一つ流さず気丈にいたことが余計につらかった、大声で泣いてくれればもっと自分も救われたろうにという意味のようなことを友人――たぶん堺利彦だったとおもう――におくっている)。
片山潜はそれにたいする見舞い状を獄中の秋水に送ったのだ。件の手紙はその返礼である。

秋水が片山潜に同情したのは何についてだろう。
片山潜は、同志たちから冷たくされたことが多々あった。悪罵も投げ付けられていた。
秋水たちと分裂してつくった社会主義同志会からも、除名させられたことがある(秋水たちが多数派だったうえにだ)。

大河内一男氏(講談社「幸徳秋水と片山潜」の著者)は「割り勘」というエピソードで、片山潜の性格について合理的な面をのべている。活動費はみんなで割り勘というのはいまでは当たり前のことだが、当時の社会運動では、自由民権運動のなごりが残っていたのか、リーダーがカネを工面してメンバーたちの費用もみるというのが当たり前だったらしい。割り勘を同志たちに要求する片山潜は、カネにうるさい男とうつったのであろう。そのほかのこともあって、片山潜は当時の活動家の中では決して評判がよくはなかった。
それにたいして幸徳秋水は、一党の首領にふさわしい技術と器量をもっていた。演説でも、筆力でも秋水は抜群だった。

大河内一男氏によると、その秋水の片山潜評(「平民新聞」第3号)が、いちばん心情あふれ、刻苦精励で一徹な潜の人柄をあらわしているという。
――米国の労働界で、裸一貫でやりとおしてきた君は、いかなる妨害痛苦をものともせずすすみ行く。意志強固と精神の強靭さは驚くばかりで、親からの仕送りで学問した生白いハイカラなどの、夢にも想像せらるるところである。常に労働者の側にいて、態度も生活も、まったく規律あり品格ある文明的労働者のそれである――。
片山潜は、活動家には評判は良くなかったが、労働者のなかではねばりづよく働きかけ、組織化をすすめていた(大逆事件のあとの冬の時代に、東京市電ストを労働者のなかにあって指導したのは潜だった)。そしてアメリカ労働者階級仕込みの合理主義、個人主義に裏打ちされた強さも見抜いている。秋水の片山潜にたいする評価は、そうした側面を見事に拾い出しているといっていいだろう。

秋水は、実は片山潜をもっとも理解していた人物ではなかったか。
片山潜は文章は上手でなかったという。その彼ががわざわざなれない候文でおぼつかないお見舞いを書いてよこしたことに「もののあはれ」を感じ、その他の多くの同志たちと同じように誤解して片山潜をみている堺利彦にたいして、「ボクはあの人に深く同情する」と伝えたのではなかったかと思われるのだ。

片山潜は、秋水の刑死後、彼の「基督抹殺論」の書評を自分の発行する新聞に載せ、罰金刑に問われた。oldmoleさんによると、ロシア革命がおこりウルトラが政権を握ると、片山は亡命先のアメリカで「レーニンやトロツキーの思想はわたしのそれより幸徳のそれに近い。彼は正しかった」と語ったそうだ。

幸徳秋水と片山潜。
明治を代表する日本の二人の社会主義者は、表向きは対立しあう思想をこえて、深いところで信頼しあっていたことを感じる。
二人は巨人だったのである。


秋水談話


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*Comment

 

案外な美談にちょっと心癒されます。
ご紹介ありがとうございました。
明治社会主義の結果が、「硬派」と「軟派」の仲間割れと大逆事件の一網打尽では寂しいなといつも思っていたところなので、この幸徳と片山のエピソードにはほっとさせられる思いです。

歴史家の神崎清は、「幸徳の反天皇制を受け継いだのは論敵の片山潜だった」と『革命伝説』の最後で述べていますが、まったくそのとおりですね。
  • posted by oldmole 
  • URL 
  • 2006.07/05 20:19分 
  • [Edit]

そうですね。 

このエピソードにふれて、本当にうれしかったです。

秋水への見方も、片山潜への見方も新しい思いがしました。

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Author:土佐高知
男性/スライム系(LV61・HP715・MP1952)/高知県に生息/酒席は好きだが、晩酌はしない/どちらかといえば「凝り性」/美徳は「きまぐれ」/ウルトラマラソンに向かって日々鍛錬中!!/嫌いなことは陰口と意見を無視する態度
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