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「壊れる男たち」感想文
率直な感想をいえば、著者の金子雅臣さんにはその意図はまったくなかったかもしれないが、筆坂さんのことを書いていると思う。
金子さんは、セクハラを起こした男たちについて次のように述べている(196ページ)。
----(引用開始)-----
一度訴えられてしまうと、その結果をそうした自分勝手な理屈(引用者注:「男の気持ち」、「その程度のこと」、「お互いに意気投合して」、「彼女も同意していると思った」という理屈)だけで説明することは難しくなる。なぜなら、もはや、その言い訳は男性たちの一部の間にだけしか通用しなくなっているからだ。女性たちにその衝動をうまく説明できないから、「成り行きで」「合意だと思っていた」などという情緒的な言い訳で何とか説明しようと、苦しんでいるのである。
そして挙句の果ては、自らの不運を嘆き、相手の「落ち度」を言い立てるしかなくなる。しかし、こんな男性優位の発想と甘えの混在した言い訳が許されないのはいうまでもない。そんな男性の身勝手な解釈や説明が許される時代ではないのだ。男性の側が一刻も早く、こうした認識を改めなければならない時代なのである。
----(引用終了)-----
これに多くをつけ加えることはあるまい。
金子さんが、この文章を男一般である自分をもえぐる重い意味をもって書いていることに強く感銘をうけた。
この指摘を正面から男性は受けとめるべきである。
この本でとりあげられたセクハラ事例(なかには犯罪といっていいものもある)は、全部で5例ある。
仮にそれを「男たちのエクスキューズファイル」と呼ぶとファイルナンバー①は、娘とおなじ年くらいの部下女子社員に欲情した男、②は、30代女子社員に「大人の女」を求めたセクハラ社長、③は、派遣社員をコンパニオンとおなじように勘違いしたセクハラ重役、④は、離婚した女性を「性に飢えている」と判断して、妄想をひろげセクハラにおよんだ社長、⑤は、目をつけた新入社員と性的関係を結び「自由恋愛だ」と開き直った人事課長の話。
いずれも惨い話である。
共通することは「男たちの勝手な思いこみ」である。
筆坂さんも「彼女はかえろうというまで楽しんでいた」という思いこみがあった。だが、彼と彼を弁護する人たちは、訴えられた「ウラには政治的な思惑がある」と勝手に妄想を拡大する。
その背景には「その程度のことで」とする男優位の思惑が働いてはいないか。
そうだとすれぱセクハラ男たちと同罪だろう。
この本のポイントはそこにある。
もう一つ、金子さんはこうした「壊れる男たち」をつくりだしている時代背景、環境に分析の筆をすすめめている。
その根底になにがあるのか。
金子さんは、男性の職場、家庭、地域での対女性との力関係が変化してること、第二に男性の社会的地位が変化していることにたいする、男の側の無感覚、無認識を指摘している。「男の一人」として重くうけとめたい。
この本を読んで日本共産党にたいする注文をつけるとしたら、筆坂さんを処分したことではない。可知さん、筆坂さん、さらにさかのぼれば市川正一さんをふくめた、性的問題をおこした幹部を生み出してきた「代々木」という職場体質をどう変えるかということだろう。
だが、どんな問題であっても日本共産党を攻撃することにだけ結び付けたい道草クー太郎さん(あるときは「どん底」さん、またあるところでは「代々木評論家」らしい←怪人20面相みたい(^_^))には、そこが見えない。ひたすら筆坂さんを処分したことに、矛先を向けるだけである。
こうして読解力にも階級性を帯びていることをわれわれは知るのである。
セクハラの「二次被害」
◆いまだにこんな男がいるとは… 金子雅臣『壊れる男たち』
筆坂さん・・・。ver.2
壊れる男たち
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土佐高知さんの考えは承服できないが、それはともかく貴兄がそう思っている。考えを変える気がないのは分かる。ならば質問させていただく。
そこまでセクハラにこだわるなら、当然代々木の職場体質を変えるための闘争をはじめるよね?質問状出す程度じゃなく……。
まずは、どんな仮説を持っているのか知りたいですね。