土佐高知の雑記帳

四国西南部から徒然なるままに、祖国の右傾化、田舎切りすてに異議申し立てほえる。靖国神社の戦争犠牲者冒涜に怒りの発信!軍需産業=吸血鬼を暴き出すお気楽バンパイア・ハンター(^○^)

Entries

「大地の子」と日本棄民政策


11月20日のシンポ「満蒙開拓団の

史実にむきあう」はすごかった。3人の満州経験者が発言、楠瀬慶太・高知新聞記者がコーディネートをつとめた。

クリック応援をお願いします↓↓↓

人気ブログランキングへ

3人とは、元江川崎大清溝開拓団員の武田邦徳さん、村尾朋市さん・元満蒙開拓青少年義勇軍、中野ミツヨさん・元中国残留孤児。

1448185648800.jpg
1448185592503.jpg

そのなかでも元中国残留孤児の中野ミツヨさんの話は、涙なくしてきけないお話だった。
以下、その発言要旨を紹介する。

彼女は江川崎開拓団の父母兄二人と叔父の5人で逃避行しているときに生まれた。
体の弱い母は母乳が出ず、撫順へたどり着いたとき中野さんは衰弱しきっていた。
撫順では家族が次々と倒れ、両親は、このままでは生きられないと中国人に託す決意をした(帰国できたのは父親だけで、その父親も昭和24年に病死している)。

中国の養父母は、中国式の婚姻で親が取り決めたもので、養母は山東省から17歳のときに嫁いで来た。
養父は養母のことを気に入らなかった。
養母は過重な労働で何度も流産し、生まれた子どもも半月でなくなったときだった。
大勢の日本人が撫順に避難しており、なかには子どもを捨てている家族もいるという話を聞きつけて、養父と養父の母が収容所を訪れた。

すぐに一人の赤ん坊を見つけたが、養父は弱っている中野さんをみて「この子は無理。連れて帰っても生きることが出来ない」といったが、養父の母は「嫁はまだ母乳が出ているので助けられるかもしれない」と連れて帰った。

包んでいる服を脱がせると裸のままで、肋骨がはっきりと見えるくらいにやせ衰えていた。
養母の母乳を飲むと腸がゴロゴロなって動くのが見えた。
それから3ヵ月ほどで、中野さんはすごく元気な赤ん坊になった。
養父母は大切に育ててくれたが、小学校に入ったときに養父母は離婚してしまった。
そのときに中野さんが18歳になるまでのあいだに毎月12元の養育費を払うことになっていたが、裁判所から督促しても滞ることが多かった。
養母は纏足のために仕事が出来ず、生活費のために家や家財道具を売り払い、とうとう倉庫暮らしをしなければならなくなった。

養母は先の見えない暮らしの中で悩んでいたが、小さな中野さんには養母の思っていることがわからなかった。
ある日、学校から帰ると母の姿が見えなくなっていた。
あちこち探し歩いて、やっと地区長さんの家にいることがわかった。
地区長さんの話では、養母は運河に身を投げて自殺しようとしていたということをきいて中野さんは大きな不安に襲われ泣き出した。

その姿をみて養母は「わかった。この子のためにもう死なない」といってくれた。
でも中野さんは心配で、養母の傍にいることが大切だと学校にも行かず、夜も眠らず養母と手をつないでいると養母は「わかった。もう二度とこんなことはしないから、安心して眠ってね」といった。
中野さんは「いつまでも母さんの傍にいる。絶対に離れない」と約束した。

小学校3年のころに養母は炭鉱労働者と再婚した。
そのおかげで中野さんは、小学校、中学校、高校に通うことが出来た。
それから仕事をしながら薬剤専門学校を卒業して、国家試験で資格を取った。
中野さんは中国で恵まれた仕事に就けたのも、養母のおかげだと思っている。
養母との約束どおり、結婚してもいっしょに暮らした。

養母は55歳のときに重病にかかって、56歳でなくなった。
死ぬまで日本人であることを何も言わず、自分の子どもようにして育ててくれた養母の死と悲しさは言葉では言い表せない。

小さいころに「小日本人」と同級生に言われたことがあったが、養母の乳で育った中野さんはそんなことを信じなかった。
日本人であることを知ったのは、1953(昭和28)年に公安局で日本人の引き上げについて説明会があったとき、養母が中野さんを連れて行ったことからだった。
だから、中国で政治運動が起こるたびに不安で仕方がなかった。
まだみぬ両親、家族、日本のことを思うと胸が張り裂けそうだった。

日本政府による孤児探しが始まったのは、1979年からだった。
養母はすでになく、養父に連絡をとって書類をつくり、1985年9月8日に念願かなって第8回肉親探し訪日団で帰国することが出来た。
中野さんを逃避行のときに取り上げてくれたおばさんが自分を探しており、肉親であることが判明した。
しかし、すでに父母、兄弟はなくそのことを知らされたとき、涙が止まらなかった。

中野さんは1988年に家族4人と永住帰国。
病院やレストランで働いたあと61歳で定年退職した。

中野さんが強く怒っていることは、残留孤児が訴えた裁判で東京地裁の裁判官が言った「あなたたちは帰るべきではなかったのだ」という言葉。
国策で異郷の地に捨てられ、やっとの思いで帰国した孤児たちに祖国の裁判官は「帰るべきではない」と言い放ったのだ。
その怒り、悲しみ、不条理さを考えると、この国のあり方を根本から変えなければならないと思う。


☆きょうも読んでくれてありがとうm(__)m
 サヨクブログのランキングアップにご協力を!
  励みになります。ポチッとおねがい!
↓    ↓   ↓
にほんブログ村 政治ブログへ

*Comment

Comment_form

管理者のみ表示。 | 非公開コメント投稿可能です。

Menu

応援おねがいm(__)m

サヨクブログ興隆のために 1日1回それぞれポチッと!!↓


にほんブログ村 政治ブログへ

カレンダー

10 | 2017/11 | 12
- - - 1 2 3 4
5 6 7 8 9 10 11
12 13 14 15 16 17 18
19 20 21 22 23 24 25
26 27 28 29 30 - -

アンケートのおねがい

このブログへの評価をおねがいします。これからの記事に反映させていきたいと思います。

プロフィール

土佐高知

Author:土佐高知
男性/スライム系(LV61・HP715・MP1952)/高知県に生息/酒席は好きだが、晩酌はしない/どちらかといえば「凝り性」/美徳は「きまぐれ」/ウルトラマラソンに向かって日々鍛錬中!!/嫌いなことは陰口と意見を無視する態度
◎ブログの考え◎
TBは、削除しません。ただし、アダルトやスパム、記事に直接関係のないものなどは警告なく削除します。
コメントへの書き込みは、管理人および訪問者の意見交換の場と考えていますので、反対意見でもフレンドリーかつ建設的な態度で行なっていただくようお願いします。無意味な文字の羅列や、コピペ、他者を誹謗・中傷する(この判定は下記のとおり)コメントは警告なく削除する場合があります。多重ハンドル禁止など、ネチケットをまもることは、最低限のルールであることは言うまでもありません。
その他、ここに明文化していないことは土佐高知の判断に属します(重要!)。
紹介している商品の取引は、それぞれの責任でおこなってください。当ブログは一切の責任をおいません。

MAILをどうぞ!

ここでは書けないご意見、お問い合わせをどうぞ。

名前:
メール:
件名:
本文:

全記事(数)表示

全タイトルを表示

最近の記事

月別アーカイブ

天気予報


-天気予報コム- -FC2-

QRコード

QRコード

FC2拍手ランキング

ブロとも申請フォーム

埋め込み

右サイドメニュー

トコトン共産党

ご訪問ありがとう

ただいまのご訪問者

現在の閲覧者数:
無料カウンター

ブログ内検索

商品検索

賛同TBセンター


「しんぶん赤旗」

ブログジャンキー

わたしのオススメ

お薦めの本、CDなど



















アフリⅠ

アフリⅢ