土佐高知の雑記帳

四国西南部から徒然なるままに、祖国の右傾化、田舎切りすてに異議申し立てほえる。靖国神社の戦争犠牲者冒涜に怒りの発信!軍需産業=吸血鬼を暴き出すお気楽バンパイア・ハンター(^○^)

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「二十四の瞳」(1954年)


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15日、16日と高知方面に旅行した。
子どもたちと土佐山田にいる古くからのともだちファミリーに会うためと、それにあわせていくつかの調べごとをするためだ。

長めの盆休みをとっていたからもう一泊しても良かったので、鷄肋庵主人と16日の晩には呑もうと電話をかけていたがつながらない。
やっと16日の朝になって連絡がついた。
彼は小豆島旅行をしていたという。

ここで取り上げている「二十四の瞳」。
わたしも日本映画屈指の傑作だと思う。
特に高峰秀子主演の松竹映画(1954年)はベスト。

前にも書いたことがあったが、この映画づくりはスゴイ。
ケガをした「おなご先生」を慕って子どもたちが岬から泣きながら歩いて尋ねるシーンが泣かせるが、その後、とった写真がこれ(『二十四の瞳』の高峰秀子と子役たち)。
映画では次のカットで成長した子どもたちが唄いながら船をこいで本校に通う姿が映し出されるが、子どもたちが映画のなかで成長したと錯覚するくらい。

ウィキから。
----(引用開始)-----
子役には、1年生役と、その後の成長した6年生役を選ぶにあたり、全国からよく似た兄弟、姉妹を募集。3600組7200人の子どもたちの中から、12組24人が選ばれた。そして、大人になってからの役者も、その子どもたちとよく似た役者を選んだ。
これにより、1年生から6年生へ、そして大人へと、子役たちの自然な成長ぶりを演出している。撮影は、学校休暇を中心に、1953年春から1954年春に及ぶ。24人は撮影終了後も「瞳の会」と称して時おり同窓会を行い、木下監督の葬儀にも多くが参列した。
----(引用終了)-----

昭和3年から21年の時代背景も丁寧に撮し込まれていて、鷄肋庵主人の言うように《 「戦後」という時代の原点を再確認することが、いまほど大切になっている時は無い。この映画は、見る者にとてもわかりやすく、情感をこめてそれを伝えてくれる。あらためて鑑賞することをすすめたい》

また、高峰秀子「わたしの渡世日記」からも。
----(引用開始)-----
特攻隊慰問では、フィナーレに「同期の桜」を合唱する。まだ少年としか言いようのない紅顔の特攻隊員は、舞台の私たちと一緒に元気に歌った。この人々の行く手に待っているのは、確実な「死」である。いったん命令が下れば、彼らはだれ一人ためらうことなく、お腹に爆弾を抱えた零戦に乗って、沖縄やサイパンの米軍の基地、南の海に浮かぶ軍艦めがけて飛び立って行く。それは明日だろうか?明後日だろうか?彼らのだれ一人としてそれを知っている者はない……。私は二十一歳だった。見物席から食い入るように私を見上げ歌っている彼らの目を、とても、まともにみつめられはしない。喉もとに熱いかたまりが突き上げてきて、私は半べそだ。「これはいけない」と思えば思うほど歌声がレロレロと乱れる。二番の最後は声にならず、伴奏だけが場内に響いている。私の涙にさそわれたのか、こらえていた涙がいちどきに溢れ出たのか、見物席の隊員たちはオイオイと男泣きに泣きだした。「同期の桜」。私の脳裏によみがえるのは、あのときの、恥も外聞もないといった特攻隊員たちの子供のような嗚咽である。
----(引用終了)-----

映画のラストが重なる。


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*Comment

NoTitle 

淡々と描かれている映画ですが、すごく色んな事が伝わって来る内容ですね。子役達の選出の舞台裏を後で知って溜め息が出ました。こんな手法もあるのかと、、。
今まで、映画の舞台になった場所に行ってみようなんて思った事はなかったのですが、この映画の舞台、小豆島には、今年の一月に行って来ました。
映画のセットが集落のように残って、映画村になっていました。リメイク版の時に使われた物のようですが、中々面白かったです。昔の駄菓子屋がそのままあって、実際にお菓子等が売られていました。
http://24hitomi.or.jp
観光案内になっちゃった。
  • posted by 阿波太郎 
  • URL 
  • 2013.08/17 13:42分 
  • [Edit]

中村高校野球部 

 「二十四の瞳」というのは中村高校野球部が昭和52年春の選抜高校野球で準優勝した時に初めて知った。当時、私は中学生。エースの山沖は今でも覚えている。それから翌年夏の甲子園で準優勝となった高知商業の森浩二投手もよく記憶している。後に二人は阪急でチームメイトに。
 それにしても、高校野球も最近のことはどんどん忘れるのに、昔のことは何故か忘れないのは不思議です。
  • posted by 万物流転 
  • URL 
  • 2013.08/19 08:57分 
  • [Edit]

としをとった証拠か(T.T) 

わたしも最近、昔の事はよく覚えているのに、さっきの電話の中身を思い出せなくって苦労しています。

もちろん重要なことは覚えていますが、どうでもいいようなことは時々忘れていて、「あれっ?さっきのあいつの電話、なんだっけ?」ということがあります(T.T)

そうですね二十四の瞳。
中村高校センバツ準優勝のときに言われたことです。
はるか昔のことですが…。

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Author:土佐高知
男性/スライム系(LV61・HP715・MP1952)/高知県に生息/酒席は好きだが、晩酌はしない/どちらかといえば「凝り性」/美徳は「きまぐれ」/ウルトラマラソンに向かって日々鍛錬中!!/嫌いなことは陰口と意見を無視する態度
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