土佐高知の雑記帳

四国西南部から徒然なるままに、祖国の右傾化、田舎切りすてに異議申し立てほえる。靖国神社の戦争犠牲者冒涜に怒りの発信!軍需産業=吸血鬼を暴き出すお気楽バンパイア・ハンター(^○^)

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レーニンの遺言と年齢

「レーニンの遺言」として有名な「大会への手紙」。2度目の発作を起こしたレーニンは、

自分の死期をさとったのか自分なきあとのロシア共産党に思いをはせ、4月に予定されていた大会にむけて「文書発言」を準備した。

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このときレーニンは53歳。
ボリシェビキのリーダーたちの個性を素描しながら、党の分裂の危険がスターリンとトロツキーの2人の関係から迫ることを「予見」した。

「わたしは、この見地から見た安定性の問題で基本的なのは、スターリンとトロツキーのような中央委員であると考える。分裂の危険の大半は、彼らの間からきている」

スターリン45歳、トロツキー44歳。
レーニンはつづける。
「同志スターリンは、党書記長となってから、広大な権力をその手に集中したが、彼がつねに十分慎重にこの権力を行使できるかどうか、私には確信がない。他方、同志トロツキーは、彼が交通人民委員部の問題について中央委員会と闘争したことがすでに証明したように、めだった点は、すぐれた才能をもつ人物というだけではない。個人的には、彼は、おそらく現在の中央委員中でもっとも有能であろうが、しかしまた、度はずれて自己を過信し、ものごとの純行政的な側面に度はずれに熱中する傾きがある」

「現在の中央委員会のこのふたりのすぐれた指導者のもつこういう二つの資質はふとしたことから分裂を引き起こすことになりかねない。そして、もしわが党がそれを防止する措置を講じないなら、思いがけなく分裂が起こるかもしれない

レーニンは防止策として中央委員の数を増やすことを提案している。

この口述から10日後の1923年1月4日、レーニンはスターリンを書記長の職から更迭することを口述する。
「スターリンは粗暴すぎる」

「些細なことのように思えるかもしれない。しかし、分裂をふせぐ見地からすれば、また、まえに書いたスターリンとトロツキーのあいだがらの見地からすれば、これは些細なことではないと思う。あるいは、些細なことだとしても、決定的な意義をもつようになりかねないそういう種類の些細なことだと思う」

レーニンが「大会への手紙」で言及した指導者は2人のほかに4人。
カーメネフ、ジノヴィエフは40歳、ブハーリンは35歳、ピャタコフは33歳。

このうち大粛清を生き延びたのはスターリンと亡命していたトロツキー。
そのトロツキーも1940年メキシコで、スターリンの刺客によって暗殺される。

レーニンは54歳でなくなったが、いまの感覚でいうと若すぎる死である。
レーニンの写真とプーチン大統領のそれを比べると、かの国でも昔の人は「老人だった」というのがよく分かる。


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レーニンの間違い 

こんにちは。

レーニンは、10月革命を成功に導いた立役者として語られる事が多いのですが、私は最近になってロシア近代史を勉強し直して、それに【疑問】を持つ様になりました。

10月革命に先立つ2月革命は、帝政ロシアによる長引く帝国主義戦争と強権的な圧制に反発した、自然発生的に「民衆」が主導した、まさしく【多数者革命】であった事は、疑いがありません。

しかし10月革命の経緯を見ると、ケレンスキー内閣によるボルシェビキへの弾圧からの「緊急避難」という側面はあったとはいえ、勝敗を最終的に分けたのは、2月革命以降も戦争を終わらせない政府へ反発した、軍部内のソビエト(評議会)によるクーデターが契機という側面も否定はできませんし、政権把握後のボルシェビキが、前政権下で公示された「憲法制定議会」で、都市部から最初に議席が決まっていく初期にはレーニンも、この選挙を肯定しながらも、農村部ではボルシェビキは多数派では無く結果として惨敗(連立しても多数になれない)が確定すると、都合よく「全ての権力をソビエト=評議会に」というスローガンを打ち出して憲政議会の無効を宣言し権力掌握を続け、公的には多数派だった他党派を、それに続く内戦で、スターリンに汚れ役をやらせて「利用」する事で、次々に他党派を殲滅し非合法化し排除して一党独裁を形成させ、スターリンの手柄に見合う党内権力基盤も整えてやり、秘密警察の前身を創り、更に「民主集中制」を導入する事で、いったん多数を握ったスターリンを排除できないシステムにボルシェビキをしてしまい、結果的にスターリンの独裁の御膳立てをしたのは、他ならぬレーニン本人だったのではないかと、最近の私は考えています。

つまり10月革命の変質の準備をしたのは、まだ健在だった頃のレーニンであり、スターリンの党内粛清や、5カ年計画での強制的農業集団化に伴う大殺戮(飢餓)が可能な状況を残したのも、最後に残したレーニン手紙が仮に「一片の良心のカケラ」だったとしても、それでもレーニン自身の【罪】は消えないのではないかと考えますし、その後も【行動面での団結】という政党としての当然の戦闘性の保持を超えて、健全な【理論面での派閥】さえも否定した、コミンテルン型の党の「民主集中制」が、長く尾を引いているのも、レーニンの負の遺産ではないかとさえ、私は思っています。つまり…言いにくいのですが…日本共産党の50年問題の解決努力とて、その負の遺産を完全に乗り越えたものとは、思えなくなっています。(党の現在の限界を考えるにつき)

土佐高知様は、もちろん別の考えを御持ちだと思いますし、私が変節したと受取られても(それはそれで)仕方が無いとは思っていますが、あくまで私の考え方は…不破氏個人の歴史観である…「レーニン聖別論+スターリン全責任論」とは、大きく距離が出来たのは、自分でも認めざるを得ません。

もちろん、歴史に「IF」は無いので、当時の状況を現代の感覚で批判しているだけだとの逆批判も成立し得るでしょうが、私は憲政議会で多数を得なかった段階で革命政府を一時的なものと宣言して、レーニンが戦争の講和だけ成立させたら、潔く下野していたら、その後の曲折や大殺戮も無く、スムーズに世界史は進んだのではないかと、どうしても悔やまれます。

現代からは、既にスターリンだけでなく、レーニンの間違いについてまで、掘り下げて見ていく必要があるのではないでしょうか?

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Author:土佐高知
男性/スライム系(LV61・HP715・MP1952)/高知県に生息/酒席は好きだが、晩酌はしない/どちらかといえば「凝り性」/美徳は「きまぐれ」/ウルトラマラソンに向かって日々鍛錬中!!/嫌いなことは陰口と意見を無視する態度
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