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足利義満と大塔
ぱらとめくった。なぜ、室町幕府論かというと、あまりにも将軍が暗殺されたり、追放されたりと幕府権力ではひ弱な感じを持っていたし、謎も多い幕府だったからである(鎌倉幕府も源将軍家は三代で断絶したから、ひ弱と言えばひ弱だが、北条執権が権力を保持した点ではやや違う)。
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冒頭に3代将軍義満が建てた、100メートルを超える七重の塔(大塔)の話が出てくる。
これは知らなかった。
義満と言えば、金閣寺、相国寺だが、この塔のことは知らなかった。
早島氏によるとこの塔は賀茂川と高野川が合流する、糺の森よりやや西に建っていたらしいという。
そこら辺には、いまでも「上塔之段町」という地名が残っているという。
この塔は創建から4年で落雷により焼失、義満はただちに北山に場所を移して再建したが、これもほどなく落雷で崩れ落ちたという。
なんか「バベルの塔」を思い浮かべるエピソードだが、避雷針の持たない100メートル超の建造物の宿命だろう。
100メートルと言えば通天閣とおなじである。
そんなものが中世の京都に建っていたというのも驚き。
そうした木造建造物を相次いで建てた3代目、足利義満の財力、政治力は相当なものであるとともに、中世日本の建築能力、技術力は偉大である。
早島氏は室町幕府についての研究が進まなかったのが、戦前の皇国史観、南北朝正閏論、その逆の戦後の民衆論にあるとする。
面白そうだ。
さて、朝鮮半島の三代目。
ロケットを打ち上げ、三度目の核実験を行った。
民の犠牲の上に華々しい造り物をつくった点では、義満とおなじだがどうだろう?
金閣寺、相国寺のように後世まで伝えられるものを残すことが出来るだろうか?
核兵器は義満の大塔とおなじような運命を辿るような気がする。
いや、国際社会は一致団結してそうさせなければならないと思う。
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足利義満は
あと、室町時代の半ばぐらいから、今の「日本の伝統・文化」ってのができあがっていきますからね。日本中世の研究も面白そうです。