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高知の靖国神社(護国神社)
山から下って中心部に向かうときに右側にみえる。こんど母の手術に付き添ったときに思い切って寄ってみた。
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保育園の庭に車を入れて、テントを張っている人に「ここに停めていいですか」と断って駐車させてもらった。
鳥居に向かって歩いて行くと、正面に大きな「海軍の塔」があり眼をひいた。

揮毫者をみると「高知県知事 橋本大二郎」とあるから、そんなに旧いものではない。
その後ろには桜の木を取り囲むように、たくさんの石碑があった。


高知県の兵隊たちが主に戦った戦場がわかる。
フィリピン、ビルマ、ニューギニア、硫黄島…。
階段をあがっていくと手水舎。
その上に満蒙開拓団の殉難者を祀る「開拓神社」があった。

神社を囲むように各開拓団の団員数、殉難者数を書いた石碑が建っている。
その数は20を超える。
幡多の開拓団の碑もあった。
さらに登ると拝殿があった。
玉砂利の向こうに建つ。

向かって右手に社務所、遺族会の事務所があり、2人の政治家の後援会連絡看板があった。
ちょっと鼻白んでしまった。
拝殿のなかは広く、一条神社よりも広い感じがした。
そこにある参拝の栞によると、御祭神は高知県出身並びに縁故ある殉国の英霊、4萬壱千余柱。
由来は、幕末以来日清日露の戦役を始め、特に先の大東亜戦争にあたって国家公共のために殉じた神霊4萬壱千柱を招魂鎮祭した神社で、明治元年11月、土佐国主山内豊範公が、高知致道館で明治維新志士四天王武市半平太命、坂本龍馬命、中岡慎太郎命、吉村虎太郎命を始め、東征の陣歿藩士105柱の霊を招魂し、その神霊を永く鎮祭するため、いまの五台山大島岬の地を社域と定め、翌明治2年3月建社の地名に因んで大島岬神社と称し、5月社殿竣工とともに神霊を鎮座地に奉還したものだという。
明治8年招魂社と改称、昭和14年に護国神社となった。
境内から浦戸湾がよくみえた。
脈絡もなく、土佐一条家の末裔千代丸の悲惨な最期が思い浮かんだ。
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