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土佐高知の雑記帳

四国西南部から徒然なるままに、祖国の右傾化、田舎切りすてに異議申し立てほえる。靖国神社の戦争犠牲者冒涜に怒りの発信!軍需産業=吸血鬼を暴き出すお気楽バンパイア・ハンター(^○^)

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久納好孚中尉・特攻の謎

2年にわたる取材を経て、KSSさんさんテレビのドキュメンタリー「遺す・ことのは~特

攻の始まりと終わりのこと~」が、29日14時30分からオンエアされる(60分)。

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取材に同行した者として感慨深いものがある。
2010年10月28日、29日の知覧、そして宮川正一飛曹の戦友であり、彼の特攻命令直後を知っている浜崎さんの取材。
ことし10月21日、22日、23日の鹿屋取材をへてのこと。
同行しなかった関東での取材では、ちょうど東北大震災の揺れにも出会ったそうだ。

きょうもいくつかの「謎」について問い合わせがあった。
一つが久納好孚中尉のこと。
呼び名が「こうふ」でいいのかということ。
ほかの史料で別の呼び名「よしたか」、姓も「くの」との記述もあるとのことだが、これだけは出身校の法政大学に問い合わせるか、親族以外は何ともならない。

もう一つは、彼の出撃が護衛していた「天山」攻撃隊全滅(19日)の責任をとらされての「懲罰特攻」との浜崎さんの証言についてだ。
これについては時系列的な問題があって何とも言えない。

久納さんの特攻にはいくつか謎があって、どれが真実なのか今ひとつわからないことがある。
わかっているのは、昭和19年10月21日16時25分に「大和隊」(爆装2、直掩1)を率いてセブ基地を飛び立って、そのまま還らなかったことである(ほかの2機は天候不良のため帰還した)。
「彼の性情と特攻に対する熱意から推して、体当たりしたものと推定された」(神風特別攻撃隊戦闘概要)。

ここで疑問がある。
久納さんは歴戦のパイロットである。
驟雨ふりつづくフィリピンの夕暮れ迫る空で、レーダーもなく単機で敵艦を発見することは困難なことはよく知っていたはずである。
なのに彼は単機のまま出撃し還らなかったのか?

久納さんの空との関係は大学入学とともに始まった。
法政大学に昭和15年4月に入ると同時に、「海軍予備航空団」にもはいり飛行機に親しんだ。
大学でもグライダー部に所属。
第11期海軍予備学生の募集が始まると募集に応じ、昭和17年9月30日に土浦海軍航空隊に入った。
ここで訓練を終えて徳島航空隊で実用機教程に入ったのが昭和18年8月31日、そこでの訓練を終えて12月1日、笠之原航空基地で第265航空隊(通称「狼」部隊)分隊士として宮川正さんら甲10期生と合流する。
あとは宮川さん、矢野川さんらの分隊士として、台湾・新竹、サイパン・アスリート、ペリリュー、ヤップと転戦。
7月にフィリピン・ダバオで201航空隊に再編成される。

フィリピンでは「反跳爆撃訓練」に取り組んだのもつかの間、9月から米機動部隊の空襲が始まり、201航空隊は「ダバオ水鳥事件」(9月10日)をうけてセブ基地に進出していたゼロ戦の大半を12日のセブ基地空襲で失ってしまう。

久納さんにとって部下を失う戦闘があったのはこのあとだ。
ルソン島・ニコルス基地にもどった201航空隊は、9月22日に21日のマニラ空襲に一矢報いるために、ゼロ戦15機に60キロ爆弾を2個積んでラモン湾にいる米機動部隊に攻撃をかけた。

部隊は2隊に分けられた。
第一小隊を鈴木宇三郎大尉、第二小隊を久納さんが率いた。
区隊長を兼務する久納さんの部下は、矢野川、八十川、街道の3人。
いずれも笠之原からの仲間である。
攻撃は成功した。
だが、久納さんは部下3人をこの攻撃で失った。
以後、久納さんは寡黙になったという。

しかし、息つく間もなく出撃命令はつづく。
10月13日、台湾沖航空戦に出撃。
こんどは隊長の鈴木宇三郎大尉を失う。
15日、第26航空戦隊司令官・有馬少将は階級章をはぎ取って、一式陸攻に乗り組み出撃。未帰還となった。
この「特攻の嚆矢」ともされる攻撃隊の護衛を務めたのも久納さんだった。

このあと関大尉と久納さんが交錯する。
鈴木宇三郎大尉の後任の関大尉が、ニコルス基地に戻ってきた久納さんと長門中尉を指揮所で殴ったというのだ(大野芳著「神風特攻隊「ゼロ号」の男」)。
目撃者がいる。
しかし理由は分からない。

19日、こんどは天山「新撰組雷撃隊」11機を、浜崎さんら4機のゼロ戦で護衛したが、久納、浜崎機と天山1機をのぞいて全滅した。
久納さんはマバラカットに帰ったが、ツゲガラオ基地に帰った浜崎さんは、翌日にマバラカットに戻り久納さんがセブ基地に行ったことを知らされる。

中島正飛行隊長に率いられた久納さんらのゼロ戦がセブに着いたのは20日午後7時。
そこで特攻を志願したことになっている。
そして整備兵に「搭乗機から機銃を降ろしてくれ、なまじそれに頼ると目的を達せられん」と懇請し(これは拒否される)、「僕は明日出撃したら絶対に戻ってこない。特攻できない時はレイテ湾へ行く」と言い残して21日に出撃した。
言葉は勇ましいが、まるで死に急いでいるような感じを受けるのは思い過ごしだろうか?

戦火に消えた青春――その真実を記録する時間が少なくなっている。


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*Comment

 

はじめまして(≡^∇^≡)
色々調べて、今は予備学生と呼ばれた学鷲を知ろうと勉強中でした。
久納中尉が寡黙になった理由や死に急いでいるかのような行動を思い出すたび、胸がつまります。
関大尉もまるで特攻のために戦闘機へ転科させられた感もあり、彼を知ると悲しさを感じます。
どんな人間にも人生があり思いがあり、一言では語れませんね。

生きている限り、知っていること伝えていきたいです。
  • posted by とみー 
  • URL 
  • 2015.01/08 20:25分 
  • [Edit]

NoTitle 

ありがとうございます。
関大尉と久納中尉の交錯、ふたりとも20歳代前半のとき、いろいろと考えます。

彼らの思いを少しでも掬い上げて、伝えていかなければと思います。
コメント、ありがとうございました。
  • posted by 土佐高知 
  • URL 
  • 2015.01/13 01:59分 
  • [Edit]

NoTitle 

はじめまして。好孚は「こうふ」で正しいです。
私は好孚の兄の孫です。
好孚の兄は3人います。
佑孚(ゆうふ)、豊孚(ほうふ)、栄孚(えいふ)、好孚(こうふ)です。
  • posted by 久納(くのう) 
  • URL 
  • 2017.09/18 23:24分 
  • [Edit]

久納さん、ありがとう 

ご親族からの情報提供、ありがとうございます。
謎がとれました。
おかまいなければご親族ならではの久納好孚さんのエピソードもお知らせいただければ、望外の喜びです。
  • posted by 土佐高知 
  • URL 
  • 2017.09/21 01:00分 
  • [Edit]

好孚について 

お返事ありがとうございました。

父方の祖父の弟で、祖父は当時40代のおっさんだったのて
赤紙は来ず、戦争に行っていません。
久納家は終戦前まで朝鮮半島に住んでいました。
Wikiでは愛知県生まれになっていますが、朝鮮生まれです。
(当時は朝鮮半島は日本でした。)

好孚 のこともあまり詳しく知らされていないのですが、機会があったら父に聞いてみます。
父は戦争体験を大変嫌っていてなかなか教えてくれませんでした。

裕福な家で車以外のものは大抵あったと聞いています。

好孚 はピアノが得意だったようです。
出撃の前にもピアノを弾いていたっと聞いています。
勉強は嫌いで二人の兄は旧帝大に進学したのに関わらずパイロットになりたいと予科練に入りました。
三番目の栄孚(栄孚、映孚だったかもしれません)は結核で病死しました。

テレビの取材で愛知県の好孚の実家にテレビ局の人が来たらしいですが、ドキュメンタリーなのか台本があって「はい、そこで泣いて」と言われたと聞きました。
  • posted by 久納 
  • URL 
  • 2018.04/28 16:28分 
  • [Edit]

NoTitle 

英孚のようですね。

こちらの方が詳しく調べてくれているようです。
https://blogs.yahoo.co.jp/tomikou185/13008437.html
  • posted by 久納 
  • URL 
  • 2018.04/28 16:31分 
  • [Edit]

0号の男の著者です。 

私は、久納宏一氏(豊孚氏の息子)と東海学園で同級でした。中学時代は、バレーボール部で一緒でした。その時代に叔父好孚氏の特攻について「特攻隊員だった」とだけ伺いました。月日が経って、作家幾瀬勝彬氏と話したとき、故久納好孚氏のことを聞き、多数の元特攻隊員の生存者と会い、0号の男を書きました。人生は、寿命だけではなく、人の記憶、語り継がれる人々の心の中でも生きているのだと思いました。このブログの主宰者にも感謝しますし、関心をもって下さる皆さんにも心から御礼を申し上げます。大野芳。

神風特攻ゼロ号の男 

大野芳氏の「神風特攻0号の男」は、若い時期の彼の情熱のほとばしる中々の力作ではあったと思いますが、その後に彼が雑誌「丸」に連載した「旭日の嵐」には正直、感心いたしませんでした。これが単行本として上梓されず、当事者の角田少尉がみずから筆をとって「修羅の翼----零戦特攻隊員の真情」をあらわされたことは、僭越ながら、日本のために良かったなと思う立場の者です。
ところで、久納中尉は確か、出撃に先立つだいぶ以前に、特攻志願の諾否が隊内で取られた時に、居合わせた若年搭乗員たちに対して、みな征け、みな征け、と勧奨されたほど闘志にあふれた学鷲であったわけですから(=これは、大野氏の著書にあったのではなかったかな?昔によんだゆえ記憶が定かではないが)それを思えば、左翼ごのみの、指揮官の強要で刑死飛行させられたなどというのは全く当たらないと思います。海軍伝統の指揮官率先突撃を体現された立派な勇士であったのだと敬仰するのみです。
「あの隊長も、あの友も、壮烈空に散ったのに、不覚や俺はまた生き延びて椰子の葉陰で月に泣く、友よ見てくれ体当たり」という、詠み人知らず、作詞作曲者不詳の「海鷲便り(うみわしだより)」という前線の海軍航空隊内でのみ流行した軍歌がございますが、まさしく、その真情で突入されたのであって、このような例は、のちの紫電改343空剣部隊の3人の飛行隊長のうちの一人、林喜重少佐にも見られます。本土防空戦闘で列機をことごとく失って生還した林大尉(戦死後少佐)は、心に深く期するところがあり、続く出撃でB29と刺し違えて戦死されたのは有名な話です。
それから、土佐高知氏は、文中で中島飛行隊長と書いておられますが、中島正少佐は、当時、飛行長であって、飛行隊長ではありません。一字違うだけで大違いで、飛行隊長は部下とともに大空で戦いますが、飛行長は地上職で命令を下すだけの立場なのです。中島少佐も、進攻作戦のころ、坂井三郎、西沢広義、太田敏夫などという撃墜王たちを引き連れて台南空の飛行隊長として、部下と共に出撃していたころは、本当に部下思いの立派な隊長でしたが、地上職の飛行長に変わったとたんに無理な命令を強要する低劣な指揮官に堕落してしまって、特攻作戦で汚名を千載にさらし、戦後まで生き延びて航空自衛隊で空将補にまでなった末に横浜ゴムの幹部で退職し、もう故人となりましたが、歴史の評価はすでに下り、恥知らずの卑怯者として定着しています。
この点、自らの息子を特攻出撃させ、また、させようとした陸軍の富永、菅原の2将軍とはおおいに、おもむきを異にするところです。
今回のKSSさんの番組は見ておりませんが、願わくば、左編した内容で、「ハイ、そこで泣いて」と台本に書かれているようなクソ番組でないことを願うばかりです。

 

こんにちは!
数年前にコメントさせていただきました。
その節は至らぬ内容でお恥ずかしいです。

あれから四年以上たち、この間、私はここでコメントされている、久納中尉の御遺族様とお知り合いになりました。
本当にビックリしましたが、とてもお優しい方で嬉しい出会いでした。

気付けば、尊敬する大野先生までもがコメントされていらっしゃり、驚くばかりです。

きっと天国から見守っていて下さるのだと信じて、今後も海軍航空隊員の慰霊と顕彰に少しでもお役に立てる人間でありたいと思います。

土佐高知様の今後のご活躍をお祈りしております。

Re: 0号の男の著者です。 

> 私は、久納宏一氏(豊孚氏の息子)と東海学園で同級でした。中学時代は、バレーボール部で一緒でした。その時代に叔父好孚氏の特攻について「特攻隊員だった」とだけ伺いました。月日が経って、作家幾瀬勝彬氏と話したとき、故久納好孚氏のことを聞き、多数の元特攻隊員の生存者と会い、0号の男を書きました。人生は、寿命だけではなく、人の記憶、語り継がれる人々の心の中でも生きているのだと思いました。このブログの主宰者にも感謝しますし、関心をもって下さる皆さんにも心から御礼を申し上げます。大野芳。

いままで気づかずにすみません。
大野さんの書籍にはたくさん学ばせて頂きました。
コメントをいただき感謝です。
  • posted by 土佐高知 
  • URL 
  • 2019.04/30 17:59分 
  • [Edit]

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Author:土佐高知
男性/スライム系(LV61・HP715・MP1952)/高知県に生息/酒席は好きだが、晩酌はしない/どちらかといえば「凝り性」/美徳は「きまぐれ」/ウルトラマラソンに向かって日々鍛錬中!!/嫌いなことは陰口と意見を無視する態度
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