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資料:日本共産党の原発政策⑤
の進展を踏まえてのものだった。そのなかで原発政策は「原子力は安全性からみても技術的に・未確立であることを認識して、その段階をふまえた研究開発をすすめることを重点にする。したがって、当面、原発の新増設は一切おこなわない。また既設原発については、総点検をおこない、その結果に応じて永久停止、改修、出力低下などの緊急措置をとる」と踏み込んだ。
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そして、資源・エネルギーの浪費構造を改め、低エネルギー社会への転換の見通しとして、「原子力については、新増設をやめ、既存原発についても安全点検をすすめていけば、2010年には稼働中の原発はほとんどなくなる可能性が強いので計算に入れない」とした。
もしも、この提言が実現していたらフクシマの悲劇は回避できていただろう。
それはさておき、日本共産党の原発政策は、その時々の情勢、知見に応じて変化発展してきたことは、これまでみたとおりである。
1960年代から70年代初めにかけては、原発についてある種の「幻想」を抱いていたこともみてきたとおりである。
だが、それは日本共産党だけではなかった。
国民の多くも原発にある種の夢を抱いていた。
ヒーローの「鉄腕アトム」「ドラえもん」も原子力をエネルギーとしていた時代である。
小出裕章さんも「これからは石油・石炭でなく原子力の時代」と希望をもって、東北大学工学部原子核工学科に入学したのもこの頃である。
小出さんが原発に疑問を抱き、それまでの立場を変えたのは1970年10月23日。
この日、初めて女川原発反対集会に参加したという。
だが、日本共産党が原発が危険なものであるとの認識をハッキリもったのは、それよりも遅く1975年のことだった。
その変化を促したのが、女川原発、東海村原発反対闘争をたたかっていた地方の党組織、党員だったということは注目していい。
たたかいのなかで、日本共産党は原発にたいする認識を発展させてきたと言える。
そして311を契機に原発ゼロミッション、期限を決めた原発からの撤退方針を打ち出した。
しかし、それをもって日本共産党の「原発ゼロ」政策は首尾一貫していると、強弁することは歴史を偽造することにつながるだろう。
もう一方で「原子力の平和利用」を主張していたから、日本共産党は原発推進論者だったと論難することも事実に反する。
いま大切なことは原発に反対する人たちが過去の行きがかりを捨てて、力をあわせて原発からの全面撤退を求める行動を大きくすることではあると思う。
四国でも伊方原発停止の一点での共同を強め、世論を広げるたたかいを起こして行きたい。
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…と言うのも、私の日記…
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6/2付の、末尾にある松本善明老(85歳・現役引退)のブログでの応対…
http://d.hatena.ne.jp/atsushi_iga/20110602/1306967607
…でも有ります様に、党中央の方針は、末端や支持者からの多くの「声」で、変わる事も有り得るのです。
私が関わっただけで、今回の、内閣不信任案への「賛成」→「棄権」や、子ども手当ての「廃止」→「暫定延長に賛成」とか…
党中央の方針は、構成員の全てが嫌でも「看板」を背負わねばならず、その決定や変化には、構成員の努力に負う所が大きいと(私は)思うのです。
ちなみに…次回の党大会では、私は「規約改正の提言」か「弁証法の破棄」を討論報に送るつもりです。
「規約改正の提言」は、既に【④のコメント欄】で述べた事ですが…
「弁証法の破棄」については、拙ブログの…
http://blue.ap.teacup.com/nozomi/116.html
…で、述べている事です。
我が日本共産党の「科学観」の発展の為に…