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南の島に雪が降る
死された人のことも話していたという。それでRくんは忠魂墓地に行ったとき、その人の記録も携帯で写し取ってきていた。
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その人は、昭和20年1月なくなっていて、戦没地はマノクワリ。
マノクワリは、ニューギニア島西方にあるインドネシア西イリアンジャヤ州の州都。
戦争中はよく日本軍が駐屯していたらしい。
でも、戦局が悪化するにしたがって、
補給も途絶え飢えや病気が広がった。
ここで有名な話は「南の国に雪が降る」。
俳優の加東大介は戦争中にこのマノクワリにいて、
兵隊たちを慰めるために昭和19年11月に
劇団「マノクワリ歌舞伎座」を結成し、
慰問活動をはじめた。
玉砕覚悟でマノクワリに残された兵隊は約7000人。
彼らを慰めるために加東大介らは数々の芝居を演じた。
兵隊たちに喜ばれたのは、熱帯とは違う日本の風土を模した舞台装置。
特に降る雪や枝になった柿の実などはほとんどの兵士の深い感動を呼んだという。
ウィキペディアから引用する。
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そして「瞼の母」の芝居の中で、紙を使って雪を降らせたところ、客席から毎回、どよめきと歓喜の声があがった。加東らは雪景色を充分堪能させてから登場するようにしていたが、ある日の公演で、いくら待ってもしんとしている。不審に思って舞台の袖からのぞいてみると、数百名いた兵隊が皆、涙を流していた。聞いてみると彼らは東北の部隊だった。
-----(引用終了)------
佐賀出身のその人も、この劇団の芝居を観たのだろうか。
そして、ふるさとの佐賀の海や山、川を思い出していたのだろうか…。
望郷の念は強かったに違いない。
兵站を無視した日本軍の犠牲者は、中国や東南アジアの人々だけではなかった。
日本兵の戦死者の6割は餓死者だったという。
日本人自身も、あの戦争・体制の犠牲者だったのだ。
愚かな戦争を始めた体制を再び甦らせてはならない。
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