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朝鮮戦争(韓國戰爭・祖國解放戰爭)
ま「ソウル1945」は、北朝鮮(共和国)軍がソウルを占領、イ・ドンウの父親が親日派として人民裁判にかけられるところ…。
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みてはいられない。
だが、みなければとみている。
朝鮮戦争は、ソ連と中国の支持をうけた朝鮮民主主義人民共和国軍が暗号名「暴風」で始めた戦争(6月25日)であることは、いまでは明らかとなっている。
彼らは戦争を始めれば南の人たちが武装蜂起し、李承晩政権は崩壊するとみていたらしい(金日成は解放記念日の8月15日までに全土を制圧できるとふんでいたらしい)。
しかし、それは起きなかった。
それでもソ連、中国の支援をうけて武装・訓練していた北朝鮮(共和国)軍は、装備も不充分な韓国軍を圧倒、9月までにアメリカ軍とともに、釜山周辺に追い込んだ。
こうしたなかで、占領地では人民裁判の名のもとに、親日派や共産党(労働党)を弾圧した人たちへの人民裁判と公開処刑がはじまった。
一方、韓国軍は非難するときに、逮捕監禁していた政治犯を虐殺する。
これが逆転するのが、「国連」軍(多国籍軍)による仁川上陸(9月15日)である。
退路を絶たれることを恐れた北朝鮮(共和国)軍は、雪崩をうって敗走した。
ソウル占領は28日。
ピョンヤン制圧が10月20日。
中国は38度線を越えたら参戦することを表明していたが、韓国軍と「国連」軍(多国籍軍)はそれを無視して北上、一時は中朝国境の鴨緑江まで部隊が進出した。
それにたいして中国軍は「志願兵」の名目で大部隊を朝鮮に送り、北朝鮮(共和国)軍とともに反撃に出た。
人海戦術による中国軍の攻撃は、韓国軍と「国連」軍(多国籍軍)に大打撃を与えた。
12月5日、ピョンヤン制圧、1951年1月4日、ソウル再奪回。
人的犠牲を考慮の外に置く、中国軍の人海戦術は度重なる戦闘では限界があった。
進撃が鈍り、韓国軍と「国連」軍(多国籍軍)は、3月14日に再びソウルを奪回する。
以後は、戦線の多少の動きはあるが、38度線を境にこう着状態にはいる。
このとき、マッカーサーが旧満州への原爆使用を検討したが、全面戦争をおそれたとトルーマン大統領によって解任される(4月11日)。
休戦協定は1953年7月27日。
この間、憎しみは憎しみを生み、おなじ民族で報復を繰り返したことは、想像に難くない。
物語りも主人公たちがこれからそうしたなかで、傷つき、憎しみあって、殺しあっていくのだろう。
もし、これが日本だったらと思うとゾッとする(降伏が遅れれば分割統治は可能性としてはあった)。
直接は米ソの対立のもとで、民族同士が戦ったことになるのだが、日本にも責任はなかったとは言えない面も否定できない(日本はこの戦争で復興の足がかりをつくったことも含め)。
隣国の歴史に無関心であってはならないと思う。
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