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ドイツ降伏と日本の判断
令官アイゼンハワー将軍にたいして無条件降伏書に署名。ドイツ軍の西部戦線での降伏が決定した。9日、カイテル元帥がソ連軍にたいする降伏文書に調印、ヨーロッパでの第二次世界大戦は終結した。
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ドイツは全土が焦土となった。
4月22日に首都ベルリンにソ連軍戦車部隊が突入、
4月30日、ヒトラーは、前日結婚した秘書エヴァ・ブラウンとともに地下壕で自殺。
5月2日、ソ連軍はベルリン占領を宣言した。
そしてこの日、正式に連合国軍(西部戦線)への降伏文書に調印したのである。
こうして日本は単独で世界を相手に戦うことになったが、日本政府はドイツの降伏後の9日、日本の戦争遂行決意は不変と声明し、あくまでも戦争継続を主張した。
しかし、本土決戦準備は惨めなもので、陸軍は戦国時代の兵器まで持ち出す有様だった。
終戦工作にふみだすのは、6月にはいってから。
しかも、4月に日ソ中立条約の延長拒否通告という重要なシグナルがありながら、ソ連に国体護持を条件とした和平仲介を要請するという外交オンチぶりを発揮。
ソ連にいいようにあしらわれ、いたずらに日本への復讐準備の時を稼がせるだけだった。
あと知恵になるかもしれないが、このドイツ降伏を契機にして、せめて「和平交渉の用意あり」との声明を出していたら、事情は違うものになっただろう。
昭和天皇が、せめて2.26事件のようなイニシアチブを発揮していたら、千島列島を失うこともなかったし、何よりも広島、長崎、満州をはじめとした犠牲者は生まれなかっただろう。
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